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わたしがうつ病になったわけ ♯2

小学校入学前の子どもに父が放ったありえない言葉。
「お前のせいで妹は死んだ!」
この言葉はわたしの魂に確実に傷をつけました。
でも、深刻に考え込むほど言葉の意味も分からず、ボケボケ人生は進んでいくのでした。

そこまでの流れは、こちら。

すでにオタク要素全開な幼稚園時代

オタクという用語を、「なにかに過度の熱中をする人間」と定義しておきます。

極々普通の人間…ではないわたしは、小学生の頃から妙なことを考える子どもでした。
そして、思いついたことは試さずにはいられない性格。

当時4歳であったわたしが思いついたこと。
それは、母方の祖母に聞いたこんな話がきっかけになりました。

祖母 「どんな物も、腐れば土に戻る。だから、牛や羊のうんちを土に混ぜてやれば、いい土になる」

そこでオタク幼児の頭に閃いたのです!

 本当にうんちは土になるのか確かめたい!

思いついたらやらずにはいられない。
さっそく実験を開始する決意を密かに固めます!

母の目を盗んで、庭におりて花壇の隅でブリッ。
その上にレンガを置いて、毎日観察をを始めたのです。

そして、見事3日くらいで跡形がなくなることを確認。
周りにいたダンゴムシに「ありがとう!」と伝えて実験終了に満足したのでした。

その数十年後に、その実験について聞いた母が悲鳴を上げたのは言うまでもないことです。

どうして目が覚めないの?

小学生まではこうしてマイウェイな生活を送っていたわたし。
でも、日々が激変する時が来ました。
  
 小学校入学です。
別に小学校という場所は苦でもなかったのです。

何がわたしに衝撃を与えたって、祖母の存在でした。
小学校の途中で転校になったら可哀想だという理由で、父の実家での同居に戻ったのが悪夢の始まりでした。

「おばあちゃん」
どんなイメージを浮かべますか?

優しくて、孫を何よりも大切にする笑顔のかわいい人。

もちろん全てが一般論のような理想像通りといかないことは百も承知。

でも真逆っていうのは、かなり衝撃ではないですか?

まず、お引越しして来ての初対面。

「こんにちは。ゆきえです。よろしくお願いします」

練習してきた通りにご挨拶。
でも帰ってきたのは、

し、か、と!

はい、足の先から頭のてっぺんまで舐めるように見た後、無視して去っていきました。

あれ? おばあちゃん、耳悪いのかな?

でも、やってきていた親戚のおばさんと耳打ちしてコソコソ話す小声は聞こえるみたい。

ほへ?としているわたしに、母は気にしなくていいからと、新しい自分の部屋に連れて行ってくれました。

しかしそこでも、衝撃その②が待ち受けていました。

わたしの部屋の隣りから、ラジオの大音量がするではないですか!
そしてドアをガラっと開けて出てきたのが、巨大ゴリラ!

結果から言うと、彼は父の上から2番目の兄。
子供の頃に高熱を出して、脳性麻痺になった知的障がい者でした。

身長が高く、ガタイもムキムキ(ガテン系のお仕事をしてたから)、そして丸ぼうず。

 存在を知らされていなかったので、思わずギョッとしました。

でも、彼だけが、心優しい人でした。
私を見ると、ニコッと笑い、部屋に戻ると、自分の大好物のオレンジジュースを差し出してくれたのです。

彼は、赤ゃんの時のわたしの事もかわいがってくれたそうです。
ヨチヨチ歩きのわたしに、この日と同じように、瓶入りのオレンジジュースをプレゼントしてくれていたのです。

あの赤ちゃんが戻ってきた!と歓迎してくれたのでした。

びっくりしたものの、優しい人だと伝わった瞬間でした。

でも、祖母の精神攻撃はその後も絶えることはありませんでした。

母の用意した夕食を目にした瞬間に、はぁ~っ!とこれみよがしのため息。
大量に食べ残した料理を、流しの中に、ざぁっ!と無理やりのような大きな音を立てて捨てていく。

母がその音に、何も言わないながら、意識を持っていかれているのは明らかでした。

そうすると、わたしは居てもたってもいられなくなり、

「お母さんのごはん、美味しいね」

と言って、おかわりをして母を励まそうとしました。
実際、母は料理上手で有名だったので、美味しいのは本当でしたが、祖母が食卓にやって来ると、場の空気は凍りつき、安らぎの場であるはずの食卓は消え失せるのでした。

小学校から帰ってきた時には、居間にランドセルを下ろしておやつを食べていると、母をなじる声が聞こえてきました。

「自分の部屋があるのに、こんな所にランドセルを放り出して、だらしのない子だよ」

母は、これから宿題をするので、これでいいんですと言い返していましたが、わたしには

母がいじめられる原因を作ってしまった!

と、自分を責める材料にしかなりませんでした。

それ以来、学校から帰ったら、すぐに自分の部屋に行って宿題。翌日の用意までして、やっとおやつ。

その後、夕飯の手伝いをする。でも作った料理は大量に捨てられる。

ゴリラな伯父だけが、モリモリごはんを食べて、おかわりをしていました。

そんな事を毎日、目撃し続けることになったのです。

それがわたしの中でストレスとなっていたのでしょう。

夜、寝ている時に、は!っと目が覚める日々が始まります。
何故、は!っと飛び起きるのか。その瞬間におしっこをちびってしまうようになったからです。

一晩に一回だったチビりが、二回三回と増えていき、やがて目が覚めなくなったのです。

完全におねしょをするまで。

夜中に何度も、パジャマも布団もびちゃびちゃの中で、自己嫌悪と、なぜ?という理由の分からない不安の中で目覚めるです。

小学校1年生から始まったおねしょは、最終的に小学校5年生まで、毎日続くことになったのです。

睡眠障害

今思えば、完全に睡眠障害発症でした。
夜になると膀胱の容積が大きくなるという自律神経の働きも障害していたのです。

最悪でした。

大量の洗濯物を出して母に迷惑をかける。

干してある布団をみて、何かの病気かい?と言ってくる祖母。

どこかに泊まりで出かけるなんて恐怖で、ウトウトしながらも眠らないという選択をした小学生の日々。

おねしょが治ったきっかけは、先程書いた、寝ている時は膀胱が大きくなるという話を、テレビでお医者さんがしているのを見たことでした。

わたしはアタマがおかしいんじゃなかったんだ!
寝る前に、膀胱にオシッコためろ!って念じればいいんだ!と、思えたからでした。

そうやって自分を責めなくなった瞬間、わたしのおねしょは治りました。

こんな風に、わたしの暗黒時代は幕を開けていくのでした。


つづく



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