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わたしがうつ病になったわけ #3

小学校への入学を機に、祖父母、父の二番目の兄(障がい者だけどいいおじさん)との同居が始まった。
だが、それがわたしの気苦労の日々の始まりとなったのだった。
というのが前回までの話。

これぞ鈍感力!

小学校入学を契機にうつ症状を起こし始めました。
と書くと、学校で何かあったのかな? いじめ?
って思いますよね。
ところがうつ症状の原因は学校にはなく、家庭内にあったのです。
家の中には一秒たりとも気を抜いていられる時間はない。

だけど、学校は気を抜き放題だったんだから、天国ですよ。
じゃあ、さぞや楽しい小学校ライフを送っていたんだね。
と思いますよね?

でもこれも実は違うんですよ。
はい。いじめにあってました。

え? いじめにあっていたのに、小学校に通うことはうつ症状の原因にはならなかったの?って頭ハテナマークになっちゃいますね。

いじめにはあっていました。
でも、当時のわたしは全く気付いてなかったのです。
究極のボケボケでした。
いや違うな。心が鬼のように広いのです(自画自賛!)

わたしのあっていたいじめというのは、文字化すると結構エグイものがあります。
通学路で待ち伏せされて、女子三人から石を投げつけられる。
その時のわたしの心理。
「野球の練習? でもわたしは野球知らないから、ごめんね。バイバ~イ」

なんの反応もせずに、スタスタと歩き去るわたし。

相手にしてみたら、面白くないですよね。
だから翌日リベンジにあいます。

通学路にあった防火水槽には、フェンスと、その上に有刺鉄線が張られていました。
その緑色をした防火水槽を指さし、いじめっ子グループのリーダーが言ったのです。

「あの中に、一匹だけ赤くてかわいい金魚がいるんだよ」

それに対して、「だから?」という顔で無言でいるわたし。

業を煮やしたリーダーは、女子特有の主張を展開。

「私たち三人は、みんな赤い金魚見てるの。見てないのはゆきちゃんだけだよ。見ないと仲間外れだよ」

「仲間だった覚えはねぇよ」

今だったらこう反論するのでしょうが、当時はまだ心優しき女の子。
あんまり興味はなかったけれど、一匹しかいないという金魚がどんな姿なのか、メダカたちと仲良くやっているのか? それは見てみたいと思ったのです。

でも防火水槽は1メートルほどの深さの水路を飛び越えて、フェンスにつかまり、中を覗き込まなければならなかったのです。

遠目に眺めて「金魚なんていないよ」と言ったわたしに、リーダーはフェンスをつかんで近くから見ないと見えないよと誘導。

仕方なく水路を飛び越え、フェンスをつかみ、中を覗き込むために左手を有刺鉄線にかけてしまったのです。

その瞬間、隣に飛び移ってきたリーダーが、私の手を有刺鉄線ごと握りしめたのです。

大激痛!!
錆びた有刺鉄線が左手の人差し指に深々と突き刺さってしまったのです!

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

泣き叫んでも、リーダーはすぐには手を放してくれませんでした。

痛みで暴れたわたしは、1メートル下の水路に転落。

運動靴をはいた足は、汚いドブの水の中。

そこへ飛び込んできたのが、近所のおじさんの怒声でした。

「ごりゃぁぁぁぁ! おめえたち何してる?!」

赤鬼のような顔をしたおじさんが、わたしをニヤニヤ笑いながら見下ろしていた三人組に向かって走ってきたのです。

これぞ脱兎!

三人は悲鳴を上げて逃げていきました。

取り残されたドブから顔だけが出ているような状態の、泣きべそのわたし。

「大丈夫か? お前さん。ありゃ~、血が出とるじゃないか。あいつらにやられたんか?!」

結局わたしはおじさんに助け出され、水道で指と足を洗ってもらい、家まで送ってもらったのです。
知らないおじさんで、以後話をすることもなかったのですが、今はなくなりつつあるコミュニティーの力を示してくださったんですね。
本当にありがたかったですね。

こんな出来事があったにも関わらず、まだいじめにあっているという自覚のなかったわたしでしたが、このまま事が済むわけではありませんでした。

ある意味わたしにボケボケの遺伝子を分け与えた母も、ボケボケです。

指を切って帰ってきた娘に、「何したの? 危険なところで遊んじゃダメよ」と言って治療して、事件終了!と幕を引いたのです。

でもこんな幕引きを許さない人がいたのです。

おじさんです。
一部始終を見ていたおじさんが、小学校に電話を入れたのです。
そして伝えられたわたしの名前。

当時は個人情報保護法なんてなかったので、通学時には名前を書いた名札をして歩いていました。
おまけに家に電話を入れてくれていたので、電話番号も知っています。

よって学校に伝えられたいじめの情報は担任に伝えられ、翌朝の朝の会で三人は大目玉を食らうことになるのです。

指に包帯を巻いて登校していたものの、別におびえるでもなく普通にしていたわたしに、担任の先生が言いました。

「いじめにあっていたのね。かわいそうに。我慢しないで、何かあったら、先生にすぐに言うのよ」

そこで初めてわたしは気づいたのです。

ええ?? わたしっていじめられてたの?

でもまぁ、先生に怒鳴られまくった三人は、泣きながら「ごめんね」を連呼。
いじめた理由も、一緒に遊びたかったのに、いくら誘っても一緒に遊んでくれなかったからいじめたというではないですか!

当時のわたしは非常の忙しい小学生でした。
週二回バレエに通い、週一回エレクトーンを習いに行っていました。
その他週3回母とボランティア活動に行っていたのです。
ないでしょう? 遊ぶ日なんて。

そして当時のわたしは、ある意味愛想なんて言葉を知らなかったので、誘わてもぶっきらぼうに「行かない」って言っていたんでしょうね。

田舎には特有の連帯意識というものがあって、仲間に入らないなら、徹底排除だ!という空気があるもの。
それを子どもたちも受け継いでいたんですね。

対してわたしは同じ長野に住んでいて田舎じゃないっていうのも変ですが、小学校のある田園風景の広がる場所ではなく、もう少しお町の住宅街育ち。
人とつるむのが好きでないという性格もあいまって、浮きまくっていたんですね。
気づいてなかったけど…

こうして理由を知ったわたしは、なんだわたしのこと好きだったのね。だったら怒らないわ、という心理になり、あっさり三人を許したのでした。

その後も別に三人とはつるまなかったですけどね。

なので、わたしはいたって快適、おひとり様小学校ライフを送っていくのでした。


〈つづく〉


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