成功者の影には

光を、浴びる人。その陰で挫折を味わう人、その時の、選択ミス、

挫折と一言で、言っても人それぞれ、誰かのせいにしない。頭で分かっててもしてしまう瞬間もある、中学生の時の陸上部、コーチが居ない事一切不思議に思った事は無い、よく走り高跳びの、飛び方分からなくて、

前から突っ込んでバーに頭ぶつけたものだ、笑いがらそれは違くね?とかやいのやいのやりながら、
結果背面飛びが、一番飛びやすいと、納得

今考えれば面白い陸上部だった。
でも、みんな一生懸命だった。かくゆう私も本などで、走り幅跳びの本を、読みせめてルール位はと。今は思う、

しかし、当日は本屋行けば週間ジャンプを選んでしまう。おいおいいつスーパーサイヤ人なるんだよ〜!毎週アニメで観るのも疲れてきてんぞ!

とすっかり本の
値段の高さに、また来ようとドラゴンボール読んでて忘れてしまう、

バカな中学生だった!そうやってしてる間に一年生の、時は154センチだった身長も卒業の、時には170センチ位に、なってた、

でも、頭から、離れないトップ選手のタッパのデカさ、気合の入り方、

ドコかで勝てないとバック引いてた事も正直に言おう、

本本冷めた性格故に奇跡だの、何だのは
所詮戯言とどっかで思ってた、

ただ負嫌いは気もちだけ、中学一年生の時に聴いてたREBECCAの、MaybeTomorrowは本気のやる気だった、2年生になり、優勝してから、チャレンジャーから追われる立場になってからは。怖かった。
、地区大会でもその間にも、埋まらない差を知った。陸上部壊滅状態も、味わった最後の地区大会では、久しぶりにREBECCAを聴き負けたらそれでも、いい一人ずっと練習してきた事それを、出すだけ。

本当は怖かった

でも優勝できたが、心は浮かれてない、何故ならば、記録自体を褒める人が居なかった、走り幅跳びは見えにくい所で行われるが、他校の女子生徒がウジャウジャ集まり、それに群がる野郎共、

何何君頑張って〜呼ばれても、言われなくともがんばっとるがな、!

ファール一回出ると、あの恐怖で、へし折れそうな気持ちを上げるのに、どうしたらいいのか、周りの歓声はほぼ聞こえてない、

練習どうり飛べたときに勝ったと思った、記録は伸びててどう見ても6メートル余裕で超えてる、

でも地区大会、周りは優勝当たり前で見ている、

一番ツラかったのはこの記録と2年連続優勝を褒める親が射なかった事、これ見よがしの、表彰状もスルー、

一見恵まれてるようで本人が、そうも思えない事は現実存在する。

この環境が、のちの私の人格に与えたのは間違い無い

長い文面ありがとうございました。

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