「入院と社会」

お久しぶりです。Uです。
前回更新から、またKさんの執筆から間がかなり空いてしまいました。書くための時間的余裕や精神的余裕が生まれたので、師走になってしまいましたが、ご一読いただけると嬉しい限りです。

私は今年6月に、蜂窩織炎という病気で入院を経験しました。治療が早いと大した病気ではないのですが、治療開始が遅れたために救急車で運ばれるまでになり、緊急入院をすることに。
「入院」とは、まさかこんなに突然経験するなど、まったく思っておらず、また生活がどのように一変するのか、まるで想像ができないなと、激しく揺れ動く救急車の中で感じていました。

入院先が決まったのは、搬送先での治療中でした。「Uさん、入院先なんだけど、うちの病院では空きベッドがなくて、数km先の病院なので、転院してもらいますね。」
そこは地域でも評判が芳しくない私立病院。そっか、普段の通院とは違って、救急患者は選ぶ権利や余地がないんだと覚悟を決めました。

実際に入院してみると、まさしく評判通り。処方された薬が医師の説明のもの、量と違う、近くのトイレは日中工事で使えない、病院食が忘れられる、自販機や売店がないので飲み物を入手できないなどなど。ネット環境についてはどの病院もあまり整備されていないと聞いていたので、SIMカードで対応。

入院当日は2、3日で帰れるかな、と甘い見込みを立てていましたが、それは無理そうなので、職場に連絡する必要があります。入院とは、社会における「免罪符」といいますか、義務をある意味で剥奪する装置なのかもしれません。病院側の入院計画通りに治療をし、生活することで、緩やかな回復を待つ。コロナ禍で誰とも面会できないことが、かえって自分の中のレジリエンスを低くたらしめているんじゃないかな、などと思いつつ、生活しました。

「回復を待つ」というより「耐える」という表現のほうが正しいかもしれません。もし自分が歳をとって、病院で最期を迎えることになったら、とまで想像しました。どうも、これは耐え難い。社会において免除されていることの代償に「自由」や「レジリエンス」を獲得する余地がまるでない。その要因は多くあるでしょう。看護師さんや介護士さんはたしかにとても親切だけれども、他方でいきなりため口で話しかけられたり、病院特有のニオイには、やはりギョッとするものがありました。

(U)

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