たびのくまさん

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最近の記事

何者

何者かになりたいと思った瞬間、 理想とする何者かからは遠ざかる それは人から見ての何者か、を気にしている

    • 何者でもない自分

      何者になんかならなくてもいいのに、 たまに、何者でもない自分を覆い隠したくなるときがある。 隣の芝が青く見えて。 そうやってジャッジし続けている限り、 自分の軸は人と比べてでしか成り立たない。 認め、許し、受け入れること。

      • 「原因不明」という病

        風邪が流行っている。 なぜか長引く、、 検査を受けても陰性なのに、そんな言葉をよく聞く。 「原因不明」。 そういえば原因を探さなくていい。 自分に指を向けなくていい。 風邪が長引くとか、ウイルスでない高熱も 感情、生活習慣において自分が溜め込んできたもの。 それを見直すきっかけにしなければ、 同じことを繰り返す。 花粉症だって、生理痛だって。 本当はないもの。 原因を探せば、それを作り出しているのは自分にある。

        • 大切な人を大切に。

          帰省を帰り、知人が新幹線の駅のホームまで見送りに来てくれた。 自分を大切にしてくれている気持ちに、なんだかとっても胸が熱くなった。 その恩と感動を、返したいと、 大切な誰かに送りたいと思った。 そんな小さなことで、満たされるなんて。 大きなことしなきゃって思いがちだけれど、たったそれだけでいいんだと、 大事なのはその人を、目の前の人を大切に思う気持ちなんだと、心から感じた出来事だった。

          本音で生きられない、 ずっと自分を作り続ける、 誰かから見られた自分を演じ続ける。 そんな自分すらにも気づかない。 無意識に、無理に自分にこれでいいんだと言い聞かせる。 こんな世界で生きているのかと思うと、 ゾッとする。 上辺だけ、上っ面だけで生きているような。

          生きること

          嘘と鎧に塗り固められた人生を送るのか 素を愛し、素を愛され生きていくのか 全ては自分の選択

          不安と恐れと。

          いつから人に合わせるようになったっけ。 いつから顔色を伺い、空気を読むようになったっけ。 いつから断ることが出来なくなったっけ。 そうやって生きてた頃に比べたら、 完全に克服したわけじゃないけど、 少しは自分の声が聴けるようになってきた。 自分が何にワクワクするのか? いまどう感じているかなぁ? そうやって自分の心に聴いていく。 でも断る時は、胸がキューって引き締まる。 人が怒ってたら、怒らせたかな?って不安になる。 嫌われちゃわないか、そんな不安があるんだね。

          人生の成功とは

          自分の幸せと、 有名になること お金持ちになること 人から賞賛されること 人から頼られること は、違う。 それはあくまで人から見た、 自分なだけ。 自分が満たされてないから 人からの賞賛や人からの承認によって、 自分を満たそうとする。 一時的には満たされるけど、そのやり方は、満たされることは一生無い。 世間が言う成功は 自分の人生の成功じゃない。 よく、こうすれば成功するっていう言葉があるけど、 その成功が何をもっての成功なのか? と思う。 ほとんどがお金、有名にな

          人生の成功とは

          満たされない

          あの頃思い描いていた理想の自分になれても、ずっと上を上を追い求め続けている。 まだ足りない、まだまだ頑張らねば、と。 欲しかったものが手に入っても、 やっぱり何かが足りない。 キリがない。いつまでも満たされない。 いつまでも自信はつかない。 だから、ひとつひとつマルをつけていくこと。 ちょっと立ち止まって、味わってみること。

          ふとそばに

          そんなにお金を払わなくても そんなに遠くに行かなくても そんなに追い求めなくても しあわせだなぁって、感じることって すぐそばにある。 もちろん私ひとりじゃない。 今日も生かされている。

          比較癖

          みんなみたいに、ダンスが上手く踊れない。みんなみたいに、バスケが出来ない。みんなみたいに、効率よく勉強ができない。 学生時代よくそんなことで落ち込み、 だからこそ必死になって努力した。 今は、自分は自分じゃんと、 できなくてもええやん、だから何? と、むしろネタにして笑って言えるが、 みんなと一緒が基準だったあの頃の私は とにかく周りに置いていかれないようにが 主眼だった。 今戻れるならば、言ってあげたい。 楽しめばそれでええやん!と。 できないことの何が問題

          花粉症

          今日は、鼻のムズムズが酷い。 最悪って思うのもいいけど、 こんな時こそいつも普通に呼吸出来ることが有難く感じる。 あー、こんなにも普通に鼻が通るって幸せなのかと。 捉え方一つでいくらでもチャンスに出来ると思うのだけどなぁ。 食生活食生活、、、改めよう。

          今を生きるけれど、今の「感情」には囚われない

          旧友が訪ねてくれた。 大人になるにつれて、学生時代の友達は連絡を取らなくなっていき、 新しい環境の人たちばかりになっていくけれど。 たまに会う旧友は、懐かしさとともに、 青春時代の心の中を思い出させてくれる。 恋焦がれていたあの頃。 将来の夢なんてないにも関わらず、高校に行くために必死に勉強したあの頃。 部活に必死だったあの頃。 たかが思い出だけど、 気付かないところでこの頃の積み重ねが、 良かったことも悪かったことも、今の自分の考えや生き方を創り上げているんだろうな

          今を生きるけれど、今の「感情」には囚われない

          「ない」もの探しをやめる

          「できない」「やらない」理由を探すより、 「実現するためには?」を考える。 「今日できなかったこと」を探すより、 「今日できたこと」を見つける。 「持っていないもの」をねだるより、 「日常にあるもの」に感謝する。 それだけで、人生が豊かになる。 真の豊かさとは、どんな状況でも、 「私は幸せ」と言える心の豊かさなのかな。

          「ない」もの探しをやめる

          こちらが警戒すると、相手も警戒する。 こちらが力むと、相手も力で押し返す。 カラダの脱力の場を通じて、 ココロの力みも解除していくと、 はじめましての人も、お久しぶりの人も みんながほんわか、居心地のよい空気が出来あがる。 それぞれが、自分のカラダの「ここちよい」を探っていくだけで、その場が「ここちよい」空間になる。 小さい時は、自分の好き嫌いがハッキリしていたのに、 いつの間に、本音隠して生きるようになる。 それに慣れると、自分の「ここちよい」も、本音も分からなく

          死ってなんだ

          隣り合わせにあるものなのに永遠にあるかのように勘違いする。 またいつか、また今度。 その「また」が本当に来るかも分からないのに。 そして、いざ死ぬってなったら、恐れ、 人生に後悔する。 より良く生きるためには、 死が隣り合わせだということを知る必要があると思う。 そして、今の生をどう生き、どんな気持ちで死にたいかを考える必要があるのではないか。 死に方を選ぶことは出来ない、 けれど、生き方は選べる。 明日からでも変えられる。 今ある生を、どう生きるのか。