将棋:打ち歩詰めはなぜ禁止なのか[イカサマ防止説10周年]


はじめまして。将棋の禁じ手「打ち歩詰め」に興味があり、投稿します。
スペック:将棋歴30年、免状3段(81Dojo)の将棋ファンです。学生時代麻雀で先輩のイカサマで結構やられた経験あり。漫画の哲也が好き。

打ち歩詰め禁止が導入された経緯の考察として、イカサマ防止説というのがあります。2013/09/28に、私が2ちゃんねるに「打ち歩詰めはなぜ禁止なのか」というスレを立てました。最近、一説として認められてきておりますが、それ以前にはそのような説は見当たらないので、おそらく私が提唱者といっていいかと思います。(先行する文献等あれば知りたいです。)


打ち歩詰めが禁止になった経緯については、史料が出てくることは期待できないので、解決しないというのが前提です。
私のような低段でも数年に一度は打ち歩で逃れたり詰まし損ねたりした経験があるので、高段者にとっては水面下で打ち歩の局面が現れることは日常でしょうから、打ち歩詰めのルールが将棋にとって大切なものであることに異論はないかと思います。しかし、このルールがいきなり導入されるのは不自然です。ルールが全くない状態からわざわざ設定するには出現頻度が低い。


よく言われる説をまとめます。
・木村義徳九段説として知られる「雑兵が寝返るのが無礼だから説」は必然性が感じられにくい。
・羽生九段説「終盤を複雑化させて先手の有利が減っている説」は結果的にそうだろうが、そのために設定したというには違和感がある。導入経緯としては不自然。(そこに着目するのはやはり天才ですが)
・詰将棋由来説(成らずに意味を付与) 後述。有力。
・「権力者が決めた」、「家元大橋家のローカルルールだった」等可能性はあっても導入経緯が見えないので不自然。ただし、詰将棋由来説に関連し、初代大橋宗桂による最古の詰将棋集「象戯造物」で打ち歩打開問題あり。

そのような中、それらしい傍証が多く用意できる説としてイカサマ防止説を提唱しました。


古来、将棋は賭けの道具として使われました。(もともとほとんどのテーブルゲームがそうだが)
もともと持ち駒は手に握りこむもので、常に公開するものではありませんでした。駒台の発明は明治時代です。
真剣師はイカサマ用に懐に駒一式を忍ばせていました。(花村九段著書「ひっかけ将棋入門」に記載あり。説着想のきっかけとなった本です。)


ゆえに賭場ではイカサマがおこり、詰み段階でトラブルになったに違いありません。
対局時計のない時代、対局中は気付いたときに駒数を確認することは可能です。しかし詰みの段階では、すぐ盤面を崩すことが多々あり、イカサマを指摘することはできません。(投了時に駒台に手をやる所作があるが、持ち駒を盤にぶちまけたのが起源である。)
5枚目の金なら、すぐ数えてイカサマを指摘できるが、19枚目の歩をすぐに確認するのは不可能です。(プロでも。嘘だと思うなら中村太地八段のyoutubeを見るとよい。)
また、別なところから拾うなどして数合わせにごまかすのも大変やりやすい。


このようなトラブルが多発する場合、賭場でルールを設けたり勝負前に合意を取ったりすることは自然な流れと考えられます。
「俺が先手か。言っとくが、打ち歩詰めは無しだぜ」というように。
麻雀だと、イカサマトラブル防止のためのルールはよくあります。(多牌は冲和で満貫払い、少牌は和了放棄など)
また、出現頻度が低くても結果に大きく影響することは、対局前に確認することは珍しくないです。(動機づけが強い)。
麻雀で初めてのメンツで打つときに「四単は普通の役満?ダブル?」とか「四家立直は親流れる?」とか確認したものですが、その感覚です。


また、(哲也ファンの勝手なイメージだが)博徒は旅をするのでは。
wikipediaによると、博徒=無宿者=旅をする というのがはっきりわかっているのが19世紀からという記載があるが、将棋のルールが定まった鎌倉時代~室町時代はどうだったのでしょう。詳しい方にお聞きしたいところです。
アウトローの博徒には旅の動機づけがあります。一カ所にいたら誰も儲けさせてくれません。故に、博打のローカルルールは全国に広まりやすいのではないでしょうか。
麻雀ならだれでも知っているローカルルールは珍しくないです。


以上が傍証で、初期に博徒によってルールが広まり、家元でもそれに倣っているというのがイカサマ防止説です。
あくまで仮説であり、史料はないことにご注意ください。


ちなみに、詰将棋由来説もかなり有力で、むしろ、私はこれが本筋でないかと思っています。
昔から言われている有名な説ですが、詰将棋素人にとっては違和感がありました。
しかし、詰将棋文化について少々調べると、今ではこちらのほうが有力なのではと思うに至りました。
さらに言うと、そもそも持ち駒再利用自体が詰将棋由来という説をネットで見たのが衝撃でした。(サイトは忘れました。これも検証不可能な仮説ですが…。)

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詰将棋由来説については、詰将棋とは何かということについて知識をつけないとかなり違和感があるはずです。
指し将棋の訓練用のパズルだろう、という程度の理解だと、なぜ対局のルールに影響を与えるのか不可解でしょう。
でも、考えてみるとなかなか、新ルール形成の揺り篭としてかなり納得感があるのです。

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詰将棋は最古の棋譜より5年も古いものが残っているくらい、昔から楽しまれていました。(前述の大橋宗桂作、打ち歩打開問題含む。)
そして、詰将棋はフェアリールール(特殊ルール)とめちゃくちゃ親和性が高い。
理由1 パズルなので、ゲームバランスを考えなくていい。(「バカ詰め」みたいに対局したら面白くないルールでも成立)いろいろ試しやすい。
理由2 難しいオリジナリティのあるものを作るにはめちゃくちゃ頭がよくないとダメ。面白いものを作りたいが頭が限界、となったときに「ルールに手を加えると簡単に面白い珍しいものが作れるので、特殊ルールを考えるモチベーションがわきやすい。」
理由3 相手がいなくても、個人で好きな時にできるので、特殊ルール採用の障壁が低い。対戦だと、ルールを考える→教える→対局という流れに付き合ってくれる人がいないといけないし、そういう人が常にいないと広まらない。

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チェスでも、持ち駒再使用ルールをクレージーハウスというが、クレージーハウスを日常的にやるプレイヤーは少なくても、クレイジーハウスのプロブレム(詰将棋のようなパズル)を解いたことある人は結構いるんじゃないかなぁなんて思います。※これはチェス界隈の人に情報いただきたいです。
安南将棋なんかも、対局した人って少ないと思うけど安南詰のほうが有名では?
詰将棋は特殊ルールの実験場としてめちゃくちゃ優秀ということなのです。

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詰将棋で、打ち歩詰め打開がかなり重要かつ基本的なテーマであるのは異論がないと思います。飛車、角、歩の不成に意味を持たせ、内容を大変豊かなものにします。故に、たとえ指し将棋で打ち歩詰め禁止が設定されていなくとも、詰将棋だけで打ち歩詰め禁止ルールが広まったとして全く不思議ではありません。そして、強い方は例外なく詰将棋をたくさん解いて親しんでいます。打ち歩詰めを、詰将棋から導入して指し将棋で(家元が公式で)採用したとして不思議はありません。

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なんなら「持ち駒使用ルール」を整ったゲームバランスで成立させるためには大変革が2つ必要です。
①駒の弱体化
もともと古将棋の駒は象棋やチェスと同じような動きと考えられている。飛車角は後で付け足されたコマで、香車がルーク(飛車)、銀はビショップ(角)、桂馬はナイト(八方桂)と考えられている。再使用がないと桂香など使えなさすぎるし、強いままで再使用だとゲームバランスが悪い。
②酔象消滅
古将棋にあった酔象。成ると太子といって2枚目の玉になる。これを再使用すると終わらない。
これらの変革を、指し将棋の試行錯誤だけでこのバランスに行き着くのはなかなか困難です。持ち駒再使用詰将棋が流行り、そのルールで対局してみた、という流れで現代将棋が成立したとしても全く不思議はないのです。この場合、打ち歩詰め禁止も詰将棋由来と考えるのが自然でしょう。

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私が詰将棋逆輸入説にもかなり信ぴょう性があるという考えに至ったのが5年ほど前です。その間、イカサマ防止説は私の手を離れ、ある程度知られるようになりました。正直、イカサマ防止説は面白いと思いますし、提唱者なりに広まるのはうれしく思います。しかし、面白いことが真実とは限らないし、真実は史料がない以上確かめようがありません。
いずれの説も、今後もいろいろと考察される価値があると信じています。拙文お付き合いいただきありがとうございました。

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