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不安と向き合い、信じた道を進む意思

「人を助けたい」「人の役に立ちたい」

そう小学生の頃から願ってきて、
再びその夢に向かっていく覚悟をしたんですが、
それって本当にそうなのかと思うわけです。




私が諦めた理由。

偽善じゃないのか
本当に必要なのか




やらない、助けを求めない、逃げる

本当に必要な人は
自分で気付いて行動し、成長しているんじゃないか。

悩んではいるけど、
本当はそこまで変わりたくないんじゃないか

そんな人たちに私のエゴを押し付けるだけなんじゃないか


再びそんな葛藤があります。


「やらない偽善よりやる偽善」
この言葉も大事にはしていますが、
本当にそうなのか。


今の仕事をしてても常に思いますし、
誰と接してても思います。

親、弟、親戚、友達、職場の人、知り合い


目指すものは本当に必要なのか

意味があるのか

私の偽善でエゴじゃないのか



気にしいで考えすぎゆえの葛藤かもしれません


人間、良い面もあれば悪い面もある

それも他人から見た自分
自分から見た他人

誰かの役には立って
誰かの迷惑にはなる


それなら黙って何もしない方が良いんじゃないか


多くの人が選ぶように

波風立てず、目立たず、

「あえて何もしない」

助けず、気にかけず、我が道のみを優先して


返報性の原理って言って

やったことは必ず返る

良いも悪いも

それをめちゃくちゃ信じたいわけですが

ちょっと立ち止まって振り返ると不安になっちゃって



必要とされていないかもしれない自分

結局全ては役に立てない自分

最後は本人が選んで、動くしかない

支援は出来るけど、
応援か祈ることしか出来ない

代わりになることなんて出来ない



アンパンマンだって
顔が弱ったら助けられないけど

超人になりたがってしまう自分

理想と現実とのギャップに
今もなお苦しむんだなあと思います


多分、一生苦しむことでしょう



また諦めるのか、

信じた道を傷付いてもボロボロになっても
生きてる限り進むのか

試されているんだなあと思います



将来が見えない不安
これが正しいのかわからない不安

正解なんて無くて、
やるしかないってわかっててもなお
襲ってくる不安



決めた覚悟が半端じゃないって
今度こそ自分の人生を生きて、
間違いないって証明したい


怖いけど進みたい

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