料理することで命に感謝する

 最近、料理への関心が高いです。もともと料理をすることは苦ではなく、家族の分も作っていました。一人暮らししてからも自炊が中心の生活で、料理をすることを深く考えることはありませんでした。しかし、大学で農業を二年間学んできて自分の中で料理の位置づけが変わりました。

 農業実習では命のやり取りの瞬間を目にすることが多いです。印象に残っているのは北海道の牛の市場見学です。その日はオスのホルスタイン種と乳牛としての役割を終えた牛の取引の日でした。オスのホルスタインは一頭1000円前後、高くても1200円ほどでものの数秒で次々と売られていきました。コロナやウクライナ情勢もあり、牛を育てる飼料代が高騰しているためです。
「こんなに簡単に命は売られていくのか」と衝撃を受けました。

 きっとこうした現状や環境問題も鑑みて、ベジタリアンやビーガンといった考え方があるのだろうと思いました。
 しかし忘れてはいけないのは野菜も命です。しかも人が育てやすいように品種改良された、加工された命ともいえます。
 人に限らず生き物は生きていくうえで食べずには、命を奪わずには生きていけないという当たり前の揺るがないものを知りました。

 

「人間は、料理をして人間になった」

「土井善晴とクリス智子が料理を哲学するポッドキャスト」より

 そんななか土井善晴さんのポッドキャストでこんな言葉に出会いました。
自分の中にあった考えを的確に表現した言葉でした。栄養を取るだけだったら料理は必要ありません。しかし料理を作る楽しみ、味わう楽しみを加え、奪った命にただの栄養以上の付加価値をつけることが料理にはできます。またそうして付加価値をつけることで命への感謝もできると考えています。
 

 これから新学年が始まり慌ただしい日々が始まりそうですが、料理をすることは怠りたくないと思う今日この頃です。


 

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