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正社員をやめる

怪我の療養もあとわずか、まだ痛むけど仕事に戻ることになった。
ただ、正社員ではなくアルバイトとして戻ることになった。

怪我の痛みも継続中というのもあるが、休職中いつもより長い時間両親と過ごす中、老いを目の当たりにしもっと何かしたいと思ったからだ。
二人とも以前と比べて動きはだいぶスロー。
冷蔵庫にはふわふわのカビが生えた野菜たち。
物忘れは年相応と思っていたら、日によってはドキリとするような大っきいのもある。

あといつも遠慮気味の母が、最近よく「死ぬまでにお伊勢参りがしたいねぇ。」「高千穂と出雲大社にもう一回行きたいなぁ。」と口にするようになった。
父の定年後2人での旅行を夢見ていた母だが、思いがけぬ家族の大病や、父の出不精も合間って叶わずじまいだった。 
今まで頑張ってくれた母を、望む場所へ連れて行きたい。
正社員をやめれば経済的には安定しない、独身の私の老後も心配。

でも両親と過ごす時間ってあとどのくらいなんだろうと考えると今出来ることをしたい。 私は家族第一に過ごしたい。

うちの両親は学はないけど(本人達がよくネタにして言っいるからいいのだ)明るくてお人よしで、うちはずっと貧しかったけど私は愛情をお腹いっぱい貰って育った。
私はうちの両親の元に生まれてきたのが私の人生で1番ラッキーな出来事だったと思っている。

また、私も職は変えながらも20年以上休まず働き続け、自分なりにひと区切りついたと感じていた。

コミュ障という言葉があるらしいけど、私は思春期から20代後半くらいまでそんな感じだった。

私にとって仕事はお金を稼ぐというより、コミニケーション修行の場だと思っていた。

なので一歩家を出ると人と上手く話せない自分が嫌いで怖くて鎧をガシャガシャ身に纏って武装していた。 
リラックスできるのは家と生まれ育った家族の前だけだった。
それでも社会に馴染もうと必死に働き、時にいじめにあったり理不尽な思いもし荒波に揉まれて少しず強くなった。
さらに中年になっていい意味で図太さも加わり、気がつけば世間と何とかやっていけるようになっていた。
誰の前でも素に近い自分でいられるようになった。
繕ったところで続かないし、器用にそつなく生きてるなぁと思う人にも悩みもポンコツな一面もあり、そこが人間くさくて可愛いんだと気がついたのも大きかった。
ありがとう、ごめんなさいができればいいんじゃない?と本当に思う。
これからはもっともっと人生を楽しみたい。
無理ない働き方で家族と笑って暮らす。もちろん自分も大事にする。 これからがまた楽しみだ。