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「その歌声で悲しみやせつなさを受け止め、引き受けて」八代亜紀さんへ

「阿蘇で取材をお願いします」。さすがに山深い阿蘇でミュージシャンにインタビューする経験がなかったので、「やはり大御所は違うなぁ」と思いつつ、ピリリと緊張感を持って、約束のホテルへ向かった。

時間になり扉を開くと、畳の部屋にその人はいた。
そして開口一番こう言った。

「あのね、亜紀ちゃんね」。

小さな顔に、大きなパーツが並んだ美しいその人は八代亜紀さん。
話し始めると、大人の女性としての美しさとは真逆で、その口調はまるで愛らしい少女のようだった。

「なんて可愛らしい人なんだろう、なぜこの人の中から舟唄の世界観が出てくるのだろうか」と思った。それほどに直接会って話す亜紀ちゃんと、ひとたびマイクを持ち、寂しさや侘しさを歌う八代亜紀とではまったく違っていた。
取材中、ずっとそのギャップに戸惑いっぱなしだった。

もちろん会う前に想像していた「大御所」という驕りなんて、どこにもなかった。

キャバレー白馬で歌っていた時の話、それが父親にバレて怒られ勘当されたこと、上京してからの苦労話の数々は、まるで映画のようにも感じられた。

そしてふるさとの土手でお父さんが絵を描いていたというエピソードを話してくれた時のこと。

たちまち目の前に、草深い川辺に立つ父親と、幼い娘の温かな光景が浮かんできて、思わずはっとした。

こんなにも情景が浮かぶように語る人は、今まで会ったことがなかったからだ。

話す言葉に流れるリズム、
一つひとつの描写する力

会話する中で、
「舟唄」や「雨の慕情」といった名曲を歌い上げる表現力の源に触れた気がした。



この時は、ちょうどジャズ作品「夜のアルバム」リリースのタイミングだった。やっと八代亜紀の歌の原点であるジャズが歌えると、喜びに満ち溢れていた。
NYで歌ったときの手応えも、それはそれは嬉しそうに語ってくれた。

アルバム収録曲「五木の子守歌」と名曲「いそしぎ」がミックスされた曲は、本当に素晴らしかった。

取材の中で、印象的だったことがある。ライブについて尋ねた時のこと。
「ライブ会場には計り知れない人生を経験された人たちが集まるでしょ。それが一体化してステージにパワーとなって集まってきます。だから私もそのパワーを受けて歌を返していく。ライブはキャッチボールなんですよ」。

せつない曲は一歩引いて歌い、聴き手が入り込む隙間を作ることを大切にしてきた。多くの人の人生の悲しみを、歌で受け止め、引き受けてきた。

八代亜紀というアーティストは、常に聴き手のために、聴き手の人生に寄り添い歌を届けてきた人なのだと思った。

「若い頃は裏切られたり、泣かされたり、さまざまな経験をしてきたけれど、自分はそうはなるまい、優しくするぞと思って生きてきました。だから、けっして人生に無駄なことなんてないんですよ」という言葉も力強かった。

写真撮影中に高齢の方々に囲まれてしまった時も、「そうですよ、亜紀ちゃんですよ〜」と嫌な顔一つせず、すべての人と握手をして笑顔で応えていた。
作られた所作ではなく、その優しさと気配りは自然体。

歌も人間力もすべてが本物の人だった。

「旅はツアーしか行ったことがなくて、プライベートでは一度も旅したことがないのよ」と言った後、ふと思いついたように「旅に出るときに必ず持っていくものがあるのよ。いつもお弁当になるから味を薄めるためにお酢を持って行くの」。そう言って少女のように笑った。



今頃は初めての旅に戸惑いながらも、子どものように無邪気に楽しんでいるのではないだろうか。マイクと絵筆を握り、バッグにはお酢を忍ばせて。

記事はフリーマガジンに掲載されたのち、ライブ会場でツアーパンフのような立派な紙のリーフレットに生まれ変わり、配布されていました。まったく知らなかったのでびっくり。

開演を待つたくさんのファンの方々が、席に座り、目を通してくださっている光景に、なんだか恥ずかしくもあり、光栄でもあり…素敵なプレゼントをいただいた気分でした。

亜紀ちゃん、ありがとうございました。
迷わずに、大切な人たちの待つ場所への旅を楽しんでくださいね。

八代亜紀さんのご冥福をお祈りします。

#八代亜紀 #音楽 #追悼

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