向上心を失う

本来、人は社会に所属するにあたり、「価値の取引」をするものだった。所属するコミュニティに対して、何かしらのメリットを提示できないと、そのコミュニティから淘汰されたり、そもそも参加できなくなる。

そして、コミュニティの大きさに応じて、要求される価値の大きさも比例して大きくなる。

インターネット(特にSNS)がむやみに他者とのコミュニケーションにかかる時間的・空間的コストを引き下げたので、コミュニティが参加者に求める対価の量は下がった。というか、対価を支払わずにコミュニティに参加した気になれる。

また同時に、インフラ・製造・物流などのあらゆる分野で仕事の分業化や自動化が進んだ現代では、社会から受け取る価値を提供してくれている人がよく見えない。顔が隠蔽されてしまう状況がある。

享受している実感を感じづらいので、同じだけの対価を返そうという意識は育ちにくい。

ところで、「他人よりも優れていたい」と思う気持ちがある。これは社会を進化させるために必要な燃料であり、誰もが持っている感情だから、ヒトが本能として備えた感情のはずだ。

この感情は、価値提供を前提にした心持ちで使えば向上心となるが、間違えると「他人を引きずり落としたい」気持ちの源泉になる。

社会から価値提供を求められるからこそ、人よりも多くの価値を提供できるヤツになりたいという欲求につながる。価値提供を求められなければ、別に苦労して自分を上げなくてもいい。

社会から受け取っている価値の多さにも気づきにくく、コミュニティに所属するために価値を提供しなくてすむ現代では、何もせずに停滞したまま、たまにタイムラインに流れる「間違えた人」を「老害」とか「情弱」とか「アンチ」とか「承認欲求」とかって単語だけでお手軽に「炎上」させて、本能を満たしていられる。こうして人は向上心を失うのだ。

人に尽くしたいとか、人に価値を与えられる人になりたいとか、そういう気持ちを持てるようになりたい。俺が現代で生き残るには向上心が足りないのだ。

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