パラレルワールド

一昨日、村上龍の『希望の国のエクソダス』を読んだ。
キッカケはさしたるものがあったのではない。何故かずっと、気にかかっていたのだ。
最初に書籍の内容に触れたのは、小学生の時に国語のテキストの中で目にしたのが最初だったか。その後、中学生の時に読んで、以来十年経ってからAmazonで買ったのである。
一応は読了した。と言っても、理解したかは自信がない。経済のことは、からっきしで、あぁこの世界の世の中は不安定だと思うしか無かった。(話の流れで、主人公も経済の話には全てついていっているわけではないと思わせる描写があったが)
『希望の国のエクソダス』は二十年前に書かれた近未来小説である。つまりは、現代と比較してパラレルワールドなのだ。ミリタリー好きが読む架空戦記を、社会版にしたようなものである。
そして虚構の世界で描かれる世界は、現実の歴史の進行とどう違うのか。これを考えるのが非常に興味深かった。
印象に残ったのが民主党が存続しているという感じのIFである。否、今のように自公政権が与党として鉄板のような感じが微塵も無かったのだ。つまり虚構で描かれる政治の世界は緊張があった。
それにも関わらず、行動した中学生は冷ややかに大人をながめるのである。自身は、当然と思う。もし自身もその中学生の一人であったならば、大人に幻滅した言動をしたであろう。
それでは、現実の中学生は?否、中学生でなくても良い、若者は?この小説の中学生以上に、現実を冷ややかに見るのではないか。それは、ジェネレーションレフトだの、若者の保守志向など、理念観念上のものはどうでも良くて、現実を生きるだけではないか。
この二十数年の投票率低下というのは、その現れではないか。自身は低投票率の状況を危ういと思う。しかし、それ以上に、そうさせる背景に思いを馳せねばまだ当分はこの傾向は続くのではないか。
自身は二十代半ばであり、数年で完全に大人の領域に差し掛かる。将来はどういう言動を取るのか、分からない。ただ、後進から後ろ指さされぬようには、心掛けたいものである。

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それにしても、何故、ずっとこの小説が気にかかっていたのだろう。「この国には何でもある。ただ希望がない」この一節が、強烈過ぎたせいだろうか。

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