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薬剤師医学生おじさんの自己紹介PART2

昨日に引き続き、私の前職と退職後の学士入学試験合格までのお話をしたいと思います。
くだらない内容もあるかもしれませんが、たまにいいことも書ければいいかなくらいに考えているので、その点は目を瞑ってください。

私は、薬剤師として東京都にある病院で何年間か働いていました。
仕事は順調で、仕事が嫌になって前職を辞めたわけではありません。

薬剤師としては、私の勤務先では役割を分業せずに全ての担当を日毎にローテーションするシステムだったため、薬剤師の基本業務である内服調剤、注射調剤、抗がん剤調製、病棟業務などあらゆる部門の業務を行っていました。その他にも麻薬管理担当や電子カルテ二次システムの管理、学生指導の担当者などなど辞める間際にはお腹いっぱいと思えるほどの仕事を任せてもらえました。そのため、辞める時は周りに迷惑をかけたと思いますが、「自分がいなければ他の人がその仕事をやる、ただそれだけのこと。」とどこかドライな感じで考えていたので迷わずに辞めれたと思います。当時の所属長は、私に退職の許可を与えてくれ、更には退職後にも関わらず学士編入試験の推薦状まで作成してくれました。本当に私にとって良き理解者であり恩人です。

病棟で特に時間をかけて取り組んだ仕事は精神科病棟で、そこで出会う患者さん、医師、看護師、精神保健福祉士など多くの医療スタッフの中で薬剤師としての仕事を行えたことは、私の人生において非常に貴重な経験となりました。

一般的には、精神科病棟って何かイメージ悪くないですか?
病院の中でも異質(誤解を招かぬよう、身体疾患としての枠組みから外れていると考えられているから)で、この仕事をすることで自分の精神が病んでしまうんではないかなんて噂もちらほら聞いていたこともあり、始める前は私自身も担当になるのに若干の躊躇いがありました。しかし、人間の心理にもともと興味があり、また精神科薬物療法は非常に奥の深い分野であったので、ここでも「えいやっ」と担当者になることを決めました。

精神科はざっくり言うと、一般的に身体が元気でも心がズタズタになって八方塞がりな状況にいる人たちと向き合う場所です。人間とは面白いことに、ある条件下で同じ現象・映像を見せても、その人の天性(性格)や育った環境の影響を受け、その解釈が変わります。多分他の動物も基本的には同じでしょうが、人間ほど思考がメインの社会の中で生きていないので、人間の方が動物よりも精神の問題を抱えやすいと思います。更には、今後脳化社会は加速していくと考えられるので、今後もますます精神科マターは人々を悩ませる主要な要因として重要性の高い領域となると予測されています。

私は、精神科で心理教育や医師・看護師の患者さんとのやりとり、カルテ上の記載等々を山ほど見ました。山ほど見てわかったのですが、精神衛生をよい状態で保つにもコツがあるということです。例えば身体疾患であれば、診察・検査をして診断を下し、最善と考えられる治療を行いますよね。それと一緒で、精神科的な問題にも解決策や予防策があります。私は、ここでの多くの人生疑似体験や解決問答がいわば「心のワクチン」となり、精神的な問題に対処する能力が格段に上がったと思います。メンタルステータスを保つということは、何か人間が物事を達成したり、アウトプットするのにはファンダメンタルな機能です。

ファンダメンタルの中にメンタルがあるように、人間は脳で外界を捉えて自分の行動にアウトプットしていき、それらのリアクションの連続の中で生きています。メンタルステータスの保持は生きる上で基本的な要素なのかもしれません。もしも、精神状態が悪い時に何かをする場合、精神的な問題がない時と比べて結果が変わってくることは想像に容易いですよね。

医学部学士編入の際のメンタルステータスの保ち方、また編入に関わらずより良く生きるための方法として、ここでの内容はいつか別記事にして見たいと思います。

長々と述べましたが、私はここでの経験をもとに以下のことを学習しました。
1.自分の本当の気持ちを向き合うことの大切さ
2.過去の自分に引きずられないこと
3.未来の自分を作るために、今の行動を分析し最適化する重要性

ここらへんのことができれば、自分の”思い”がある程度再現性のある形で実現できる人生になるだろうと考えました。

では、本題に入ります。

薬剤師を辞めた後、何をしたか。
薬剤師を辞めてすぐに、私は河合塾KALSという医学部学士編入専門予備校へいきました。
あの日のことは今でも覚えています!!いわゆるターニングポイントというところでしょうか。
東京のKALSは新宿にあるのですが、そこの教室に入り窓際の席に座り、燦々と日が注ぐ新宿の無機質な雑居ビル群を眺め、「あー、今日からまた新たな人生が始まる。」と悲しみに似た高揚感を感じたのを覚えています。お金はもらえない立場になってしまったけど、それを差し引いても全然余るくらいの充実感もありました。←まだ何もしていないのに。笑

受講した講座の料金は確か120万円くらいした気がしますが、カードで一括で払いました。私は家・車を買ったことがなかったので一括で払った人生最大の買い物は今のところKALSの予備校代でということになります。笑
(余談ですが、第2位はTAG Heuerの時計約40万円です。理由を言語化することが難しいですが、これも買って良かったと思います。)

でも100万円近い投資でも、学費の安い国立医学部に進めて、医者として平均年齢までやっていけると仮定すれば、高い買い物ではないと考えていました。

簡単に紹介するつもりが、思いの外長くなってしまったので、そこからの珍道中は一旦省き、結局どうなったのか記載します。

1年目
鹿児島大学  筆記合格 面接不合格
滋賀医科大学 筆記合格 面接不合格
群馬大学   筆記合格 面接不合格
大分大学   書類合格 筆記不合格

2年目

群馬大学   筆記合格 面接不合格
鹿児島大学  筆記不合格
福井大学   筆記不合格
旭川医科大学 筆記不合格
琉球大学   最終合格
香川大学   最終合格
島根大学   最終合格
進学した大学(念のため秘密にします!) 最終合格


こんな感じです。突然ドライな感じになってすみません。
むしろ、受験勉強始めた時からが面白いこと・辛いことの連続でしたので、それを書きたいですがあまりにも色々なことがありすぎて書ききれず、もし書いたならば明日の臨床実習に影響が出てしまいそうです。未来の私が出会うであろう患者さんのためにも、それは避けなければなりません。

こんな私の文章を面白がってくれる人がいれば、フォローしてもらえるとありがたいです。

次回は何かためになるネタを投稿したいと思います。

それでは、ごきげんよう。

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