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「なんとなく」は偉大

「なんとなく」を大事にしよう

なんとなく生きてたら、なんとなくいい感じになった。
それは理想の生き方だ。
だが、実際のところ、なんとなくに従わないと、生き方が「コチコチ」に固まってしまうだろう。

「なんとなく」を育てる

「なんとなく」は才能ではない

「なんとなく」は育てることができるし、成長していくものだ。
「なんとなく」の次に来るものはなんだろうか?
それは決断である。
決断を意図的に繰り返していくことで、「なんとなく」の感覚は自分のものとして、育まれていく。

「なんとなく」のトレーニング

「なんとなく」決断することは大切であるが、その状態のとき、あまりに「なんとなく」決断しているので、決断していることに気づかない。

すると「なんとなく」の羅針盤が狂ってきているときに、それに気づかず、迷路に迷うことがある。

しかし、大丈夫である。
迷路に入ったら、羅針盤を修正するときが来た、と思って、意図的に決断をしていけば、望ましい方向に再び進むことができる。

「なんとなく」を高める習慣

普段から「なんとなく」の羅針盤を調整することはできないものだろうか?
可能である。
振り返りをする習慣が、羅針盤を調整してくれる。
例えば、日記。
思いのまま書いてみるジャーナリングも良い習慣だろう。

「なんとなく分かる」が大事

「なんとなく」とコミュニケーション

「分かる」「分からない」でも、なんとなくは大事である。
常日頃から「分かるなぁ」と繰り返しておこう。
他人とのコミュニケーション力がアップする。

最初から「分からん」といっていると、脳はそれ以上、何もしない。
一方、「うん、うん、分かるなぁ」と言っていれば、なんとなく脳が分かるように思考してくれる。

「なんとなく」と非言語的伝達

「分かるなぁ」と言いつつ、返事をしたら、相手と認識のズレがあったとする。だとしても、相手は別に「分かってないじゃないか!」と怒ることはないだろう。
こちらが分かろうとしている気持ちが伝わっているからである。
分かり合える部分をコアとして、良好なコミュニケーションを広げられるだろう。

「なんとなく」と説明責任

なんとなくで発言すると、相手の頭に「?」が浮かぶことがある。
そのときこそ、ロジックを使う。
このロジックは辻褄合わせでOKだ。
ロジックは後出しジャンケンで考えればOKだ。
まずは感情が王様、論理は従者として、決断すればOK。
ロジックは組み方次第で答えは○にも✕にできるものだ。
だから、まずは「なんとなく」から始めよう。

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