落とされるんじゃない、私が落とすんだ。


20代も後半に差し掛かると、
何が起こるかって友人の結婚ラッシュよりも
たまに会った時に実は最近まで鬱だった話の多さである。
世知辛い日本。
そんな今日は自分のマインド話でも偉そうに書いてみようと思う。

高校入試のテスト会場で友人になった子が
福祉系の大学を出て、まさかのIT企業に就職した。
懐にいれた人にはひたすら優しく気遣いのできる子で、ふわふわしたイメージだったので最初はかなり驚いた。

だんだんと連絡の頻度もお互いに下がっていたのもあるけど、なんとなくLINEの返信が前よりも遅くなった。
かくいう私も親友のLINEに1週間返事をしないなんてざらにあるんだが、それともまた様子が違う気がした。

新しい環境で頑張って、新しい人間関係も出来ているだろうからたまに会えるくらいの距離感でいいかと思いつつも、
高校の時に3年生でようやく同じクラスになれて、よく授業中に手紙交換をしていたことを思い出して
年賀状の住所になんとなく、どうでもいい内容の手紙を送った。

そしたら1ヶ月後に返ってきた手紙には
ちょうど鬱で1ヶ月点滴で暮らしていた時に届いたのでタイミングに驚いたし、ほんとうに心が救われた。
だなんて書いてあって、どうやら私はなにかに間に合ったらしい。

その時手紙を出していなかったらこの縁も途切れてしまっていたかもしれないし、
なにより辛いというSOSを受け止めてあげられるところに居られてよかったと心底安心した。

そんな友人が、
1年以上かけて少しずつ派遣の単発の仕事から社会復帰し始め、
2年ほどたって次の就活に頑張って踏み出そうとしているらしい。
私だって次いつ転職や就活するかわからない。寄り添えるだけ寄り添いたいと思った。

そんな時に私がよく友人に言うのは、

面接で落とされたとしても、
その面接官の偏った目で見た人しかその会社にはいない訳で、
そんな中でなんとか採用されたとしても自分は楽しいのか??
その会社によって、運動部っぽいとか、体力仕事とか、御局様がいるとかちょっとずつ違う雰囲気があるんだから、
そんな今その会社にいる人によって判断されて不採用というなら、きっとこちらから不採用だったと思うわけだ。

あくまで会社と合う合わないの話なので、
何件落ちたとしてもあなたという人間が優れていないわけでも、悪いわけでもない。
そういう感覚になってしまうのは仕方ないけど、どうか合う会社が向こうからお願いしてくるくらいまで自分に合ったやり方で少しずつ進んでいってほしい。

と強く思う。
不採用が続くとどうにも落ち込むし疲れるんだけどこれからだと心おだやかにみんな過ごしていて欲しい。

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