自殺の概念を知らなければ自殺する人はいないのではないか
こんばんは。
波が下降気味で、希死念慮が止まらない。
最近は芸能人の訃報が多いけど、死ぬのがわたしだったら世界平和だったのになあと思う。
今日は希死念慮が生まれた原因と、それの対抗策を書いていこうと思う。
①リストカットを始めた経緯
わたしが小学6年生の時、恋空からくる携帯小説ブームがあった。
そしてその当時は、いじめ系の題材が流行っていた。
その中にリストカットの描写があった。
そこでリストカットを知ったわたしは、事あるごとに「リストカットしたいなー」と口に出すようになる。
(まだリストカットはしない)
そしてそのあと、AKB48のドラマで、柏木由紀さんがリストカットをする役でテレビに出ていたことがある。
そこで更にリストカットへの理解を深めたわたしは、中学2年生にリストカットに踏み切ることになる…
そこでわたしが思ったのは、リストカットを知らなければリストカットをすることもなかったのではないかということだ。
②希死念慮が深まる経緯
それからというもの、死への救済を求める心は止まなかった。もちろん希死念慮は常時ある。
でもとりわけ希死念慮が来るタイミングがある。
それは芸能人の自殺のニュースだ。
その度に、「あーわたしも早く死にたいなあ」とか「こうしたら死ねるのかな」という知識を得てしまうのである。
知識を得て仕舞えば最後、死ぬことへの想像が止まらないのである。
死ぬ勇気も特にはないので実際には死なないが、そういう自殺のニュースがあるから自殺する人がいるのかなぁと思う。ちなみに電話番号を書かないといけないらしいがそれは無意味である。なぜなら死は救済だから。
さいごに
これらのエピソードからわたしは、自殺の方法そして自殺という言葉を知らなければ誰も自殺しないんじゃないのかと思う。
例えば病気で誰かが亡くなっても頑張って病気になることはできない。だから自殺欲がそこまで高まるわけではない。自分にはできないから。
でも自殺は自分で頑張ればできる。だから自殺したくなる。
もう手遅れかもしれないが、自殺を扱う教材や自殺を扱うニュースが何もなくなれば、今よりも自殺の人数が減るんじゃないのかなと思う。
自殺はもしかしたら人間の本能かもしれない。それはわからないし死は救済だと思ってるけど、誰かがいなくなること恐怖症なので誰も死なないことを今日も願って。
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