見出し画像

ねぇ、もっとアナタと深く深く…感じ合いたいの

どんなに相手のカラダを知っていても
どんなに相手の性感帯を知っていても

それは相手の心を知っていることにはならないのだから、だから私たちはお互いをもっと深く深く知り合いたいと思い続けられるのかもしれない。

そして気付くの

相手を知ろうとしていた旅路の途中で
実は自分というものを知ることになるし
実は自分に向き合わざるを得ないことになるのだと。



夜通しベッドで睦み合った私たちは
久しぶりに再会した

お酒もなし、陽の高いうちに会った。


彼の手には美しく包まれたギフトが…
「はい、これ」

"ホワイトデー"

このまえバレンタインに渡した小さなチョコレートのお返しということなんだろう

こうした律儀でマメなところが真面目な彼らしいと思いつつ、つい微笑んでしまう。

「こんな素敵な…なんか私、海老で鯛を釣っちゃったみたいでごめんなさいね」
と私が言うとお互いにあははと笑い合った

時が経っていてもこんな風に会えばたった2分であっという間に時間を取り戻してしまうようだと思う。


そして会えば私たちは
お互いを急いで知り合うかのように
ここまでの近況報告をする


最近なにがあった?
その後あれはどうなっている?
今は何に関心がある?
仕事の変化は?
そしてそれによってどんな気持ちの変化があったの?
プライベートでの冒険は?
譲れない自分のポリシーは?
最近感動したことは?
最近の面白かった話は?



どちらかが主に聞き役で…とかではない
ふたりが同じ分量でお互いのそれぞれを話し
片方がうんうん、と聞いている時間は
片方が夢中で話す
それはとても楽しくてエキサイティングで、癒しで、おかしくて、納得する時間でもある。


あぁ、わかる
一緒だなぁ


そんな感覚になれるのは案外稀有なことなんだと大人になると気付く。

彼といるとまるで自分が子供みたいになれる
大人になって覚えた美辞麗句の全部を脱ぎ捨てることができるから彼が好きだ。




この広い地球のなかで、
こんなにはてしなく広がる可能性のなかで、
偶然という名前の瞬間からこの人に出逢い…
こうしてお互いに約束をして、時間を都合して
相手と会おうという意思がお互いにあり
楽しく話をしているという不思議。


別の場所で育ち、別の場所で色んな体験をしてきた者たちが同じ気持ちになれるという奇跡を楽しい、嬉しい、愛おしいと思わずにいられない。

でも、もっと言えば
相手と同じ気持ちになれなくてもいいのかもしれない

相手が果たしてどう感じているのか?
は相手にしか分からないことなのだから

それよりもこんな楽しい時間を私に過ごさせてくれた相手に、こんな気持ちにさせてもらえた彼にただ感謝を感じるから

どうか彼がこれからも幸せでありますように、とついつい願ってしまう。



彼と話していて思った
あぁ、この人は私のようだ、と


たくさんの女の子たちと戯れて
自分を探求している彼

そして自分ととことん向き合った結果
いま挑んでいることがある
いまやり切らなくてはならない事がある
体験したいからやるんだ
分かったつもり、じゃなくて
本当につくづくわかった!と思うために一歩ずつ地道に歩を進める必要があるし
誰かに理解されることよりも自分が自分のことを認めたくて、自信を持つために信じて進んでいることがある。

この人を見ているとまるで自分がそこにいるようだ。


男として好きだとか
自分の彼にしたいだとかそういった感情じゃなく、ただ人として認めている

そんな感じかなあ、って。


こんなに何度も望んで会う男で
何度もカラダを重ねて
こんなに一緒にいて
自分のものにしたいと思わない男も初めてだわと思う。

恋愛は時として「我欲との対峙」という甘い格闘技である
愛おしいと思えば誰にも渡したくないと
全てを自分のものにしたい
相手をまるごと手に入れてしまいたいという欲に駆られる苦しさである

大人になったとて、それからは逃げられないのだから。


彼を見ていると、彼をそのまんまの彼を
ただ応援したくなる。

それが例え私の意に反していたとしても、である。

それは彼が男として魅力がないとかじゃなくて
束縛したい、されたくないから、ではなく
不思議とそっとしておきたくなる魅力。



彼の人生で積み重ねてきた大切である聖なる「領域」を尊重したいから、だし
私自身もそんな気持ちがわかるから、だし
きっとその人を大切にするのなら
その人がいちばん快適で過ごしやすい環境を尊重してあげたいと思うから、なのだと。



私も思う存分に自分のことを話す
性癖も、こだわりも、ひらめきも、ワクワクする夢や願望も

すると彼はくすくすと笑いながら
「それきっと、この地球上にいる70億人のうちの65億人くらいは意味不明って言うだろうね(笑)」

やっぱりかー!とか言いながら笑い合う

この世界にはきっと
理解されてホッとしたいよりも
誰かに求められて愛される実感よりもいいものがある

それは

この自分こそが自分のことを認めていて、好きである

と言う事実だ。


私たちはきっとそんなことを大切だと思っている同志なのだろうと思う。




帰りの時間が近付くと手を繋いだ


指で彼の手のひらをつつー、っとなぞる
今度は夜の部でも遊びましょうね♡
という私なりのセクシーなお誘いの意味である。



カラダよりも深いところでお互いを感じる
深部まで感覚を研ぎ澄ませて
魂の髄まで気持ちいいところを触れて
感じさせて。


ねぇ、カラダが感じる…その先の恍惚とする快楽へ行ってみたくない?と私は自分自身を誘う

愛すべきは
誘惑すべきは 相手のようで相手ではない


自分自身と繋がる
自分自身と感じ合う


これ以上にセクシーな体験はないのでは
と思う


そして彼とならそんな体験も出来るんじゃないかしら?という予感があるからワクワクするのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?