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下心のない「愛」を知ったなら

愛とはなんだろう
恋とはなんだろう

こんな事を静かに思う。


例えば今までの自分は恋しい人を思い浮かべれば、その先に夢見るのはその人との甘い未来であったと思う

しかし、本当に本当にその人じゃないといけないのか?というとそうじゃないと思う

これはみんな経験しているけれど
誰かに失恋したとしても
また私たちは誰かに恋をするのだから
絶対的にあの人じゃないと嫌だ、と思ったその気持ちもやはり「絶対」ではなかったということ。


私たちって、何に恋をするのだろう?
何を愛するのだろう?


もしも恋を「成就」させるのだとしたら

それはメリットが前提としてあって
成就させることによって得られるメリットがあるから私たちは躍起になれるし、自分のための利があるからこそ夢中になれる。

ただ、愛の場合は少し違う
愛の純度が高まれば高まるほど
自分のメリットからは離れてゆく

自分が心から愛する相手がただ幸せであることを願うから。



その時自分のメリットは存在せず
自分の安心も利もないことを前提にして行動することになる


でもこの愛にも本質的に言えば
最大級のメリットが存在する

それは、自分以外の誰かを
心から愛することが出来た経験こそが
自分自身にえもいわれぬ幸福感と恍惚感を感じることが出来るという点。


そう、愛するという行為は
命をもって生きている私たちに与えられた
メリットさえ必要ないほどの豊かさの境地なんだと思える。


この命の価値はいかほど?
と、自分自身に問うてみても、そんなのわからないし果たして人様に誇れるようなものなんてあったカナ?なんて思ってしまうかもしれないけど

誰かを真剣に愛おしいと
大切だと
守りたいと願っている自分を見つけた時
私たちはなんて美しい世界に生きているのだろう
と、自分自身に思うものだ。


取引のない感情
下心のない感情
自分のためではない祈り


真の愛するという体験が出来たとしたなら
もうそれは生まれてきて、生きてきてよかったね
と言えるほどのご褒美であり
全人類誰しもが必ず到達できる境地でもないと言えるのではないかな。


メリットや利益、自分の安心や安全
という枠組みから出て自由になり

広く大きな世界へ出た私たちが
自分自身よりも大切にしたいと思える誰かに、何かに出逢えたのだとしたら

それは魂の約束を果たせた
という誇らしさと共に生きてきたことへの賛美と感謝に繋がるのだと思う。



本当の意味でいう幸せとは
目に見える財産や実績などでは計ることのできないものだからこそ、心と、その感性まるごと使って命の時間に恋慕するような思いで日々を生きることなんだろう。


愛は限定的でも計ることのできるようなものでもない

愛は自分自身で見つけにゆくものだから

誰かと比較などせずに
自分の心で感じて喜んでいこう


私たちの心は今日も愛に溢れ
とてつもなく自由だ♡

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