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第十四話 梅にうぐいす、桜に……

もくじ

 夕方になった今、遊歩道の人影はほとんど見当たらない。広場でシートを広げているグループも、残すところあと数組だけになった。夜桜も有名な蓬莱公園だが、桜並木がライトアップされるのは龍神池の周りだけ。日が暮れたあとの広場は、真っ暗になってしまうので、残っていても意味がない。
 宇和島の提案で、騎馬戦の馬を作ることになった。龍神池までの道のりをただ歩いても面白くないから、飛び込みの余興として、罪人たちを馬に乗っけて池まで練り歩こう、という話になったのだ。
 馬は二基作った。飛び込む人間は三人だが、馬役の人間の身長が合わず、三基目の馬を作ることはできなかった。
 静かな遊歩道に、ザッ、ザッ、と複数の足音が響いている。前を行くのは真一たちの馬。真一が馬の頭をやり、左側を岩見沢、右側を岡崎が担っている。二人と組んだ手の上には、松浦の足。結局、松浦も飛び込みをやることになった。お練りの話が出る直前まで、グダグダ文句を言っていたが、いざ馬を作ってみると、走ってみろ、だの、ロデオみたいに跳ねてみろ、だのと、いちいちうるさい注文をつけてきた。元々、馬の上に乗りたがるタイプの男である。昔、運動会で活躍したことでも思い出して、やる気に火がついたのかもしれない。
「いい眺めだー。人もいないし、最高だな」
 今も馬の上でご満悦。額に手をかざして、方々見回している。
 真一は複雑な気分だ。自分たちの役どころは、市中引き回しの刑を執行する、お偉いお役人だったはず。だが、実際には、下っ端の人足のごとく汗水垂らし、罪人であるはずの松浦が、殿様よろしく輿に担がれている。これでは、いったいどちらが罰ゲームをやらされているのかわからない。
「おい、もう五時過ぎてるけど大丈夫なのか」
 岩見沢の声も苛立っている。松浦はこれからバイトがある。飛び込みなんかやったら、全身ずぶ濡れだ。家に帰って、シャワーを浴びて、それでバイトに間に合うのかと訊いているのだ。
「まあ、六時半までに店に行けばいいことになってるから……」
 岡崎が、水を差して悪い、といった具合に言った。岡崎もこれから松浦と一緒にバイトだ。二人とも今日は変則的なシフトで、日中の仕事がなかった。飲食店で休日に仕事がないというのは妙な話だが、桜祭りの期間中、店の客の入りははっきり言って悪い。花が満開なら、花の下で飲み食いしたいと思うのが人情で、公園を訪れる人々の大半が飲食物を持参している。ゆえに、店はこの時期、晴れた日の休日に限って、思い切って店内の営業を止め、店先で花見弁当を売ることにしている。しかし、そうなると人手はいらず、岡崎や松浦たちにもヒマができるというわけだ。
「市民農園のシャワーもあるしな」
 真一も付け加えた。店の裏手の市民農園に設置されたコインシャワーは、誰でも使用可能だ。公園下のせせらぎで、子供を遊ばせた母親もよく利用している。仮に、何らかの理由で使用できなかったとしても、スポーツの森にもシャワーはあるから、あまり心配はいらないだろう。
「へえ、そんな所にもあるんですか……」
 岩見沢が、やや拍子抜けした声を返した。市内でも、公園から遠い所に住んでいる岩見沢は、このあたりの街の様子に詳しくない。
 遊歩道の桜並木は、今がちょうど満開。花づきの良い枝が幾重いくえにも折り重なって、薄紅色のトンネルを形作っている。馬に跨っている松浦の目の高さからすれば、花の雲の合間をゆっくり飛んでいるような感覚だろう。実際、馬の上はたいそう快適らしく、ビールでも持ってくりゃよかったな、などとふざけた声が降ってくる。
 真一は、桜並木の外に目を向けた。西の山では、地色の暗い斜面に、ヤマザクラがぽつぽつと色を添え、冬の装いの山が一転して明るい印象になった。遊歩道のソメイヨシノの色は均一でも、ヤマザクラの花の色はまちまち。白っぽいものから赤味の強いものまで幅がある。ひときわ白い花は、オオシマザクラだ。青葉と純白の花の組み合わせが、赤芽と薄紅の花のヤマザクラと好対照を成して面白い。それぞれの名前から、オオシマザクラは海辺の桜、ヤマザクラは山地の桜、と単純に割り切ってしまいそうになるが、ヤマザクラは海の近くでもよく見かける。今の時期、山がちな海岸線を車で走れば、二つの桜の見事な競演を眺めることができるだろう。海釣りに行っていた頃は、毎年その光景を見て、春の訪れを実感したものだが、車を手放してしまった今は、公園の桜で満足するしかない。若干緑がかった春の海 (桜が咲く頃の海は、こういう色になる) が景色に入っていないのは寂しいが、それは言ってもしかたのないことだろう。
 第二広場を過ぎ、龍神池へと続く坂を下り切った頃には、だいぶ疲れが溜まっていた。特に足にきている。踏ん張ろうとしても、うまく膝に力が入らない。
 だが、愚痴を言うのはやめておく。後ろの二人は、真一よりずっと負担が重いのだから。先ほどから会話もなく、荒い息遣いだけが聞こえてくる。
 翻って、上機嫌で満開の花の下を行くバカ殿様は、下の人間の苦労など知ったことではない。スポーツの森に差し掛かったあたりから、馬の乗り方が荒くなった。桜の枝に手を伸ばしたり、体をひねって後ろの仲間たちと大声で会話したりと、まったく落ち着きがない。重心がずれる度に、肩や首に負担がかかる。疲労の大半は、こいつのせいだ。
「ひょーっ!」
 バカ殿様が奇声を発した。
 お戯れが過ぎる。というか、マジでむかつく。こいつは担ぎ手たちを何だと思っているのか。一言言ってやろうと振り返ったら、裸の上半身が目に飛び込んできた。いつの間にかTシャツを脱いで、頭の上でぶんぶん振り回している。満面の笑顔が憎たらしい。リズミカルに振動が伝わってくると思っていたら、これのせいだったのか。花が満開なら、バカ殿様のおめでたぶりも全開だ。
「うひょーっ!」
 春の雄叫び第二弾。
 梅にうぐいす、桜にチンピラ。暖かくなってくると、こういった輩が増えて困る。
 じっとしてろ、と岡崎が注意するも、聞く耳を持たない。Tシャツを振り回しながら、腰の動きもますます激しくなる。動く度にあぶみが踏み込まれて、手が痛い。
 まったく、勘弁してもらいたい。
 何とか、こいつをおとなしくさせる方法はないものか……。
 頭をひねっていると、あることに思い至った。

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