夢は変わるもの?

 小学生の頃は本が好きで、放課後は一人で学校の図書室に居る事が多かった。
推理小説から童話、純文学と活字を追いかけるように読んでいた。
漠然とこの頃は小説を書く人になりたいと思っていた。本の中には不条理な内容の物もあったのだろうか、変に正義に目覚めたのが原因だったのか、高学年になる頃には将来は弁護士になりたいという夢が出来た。その頃の私の成績は中の上というとこだったと思う。
担任の先生との会話の中で、弁護士になりたいと話したら、今の成績では無理だと言われた。その一言であっけなく弁護士の夢は消えた。昭和っ子の私に取って、その頃の先生の言葉は絶対的だった。

 私は父の仕事の関係で小学生で2回転校している。将来も転校する可能性があったので貸家暮らしだった。
中学生になった時は、家の憧れから国語のノートのマス目を使って、自分の住みたい家の間取りらしき物を描いていた。父が住宅メーカーの営業マンだった関係で、家には住宅のパンフレットが沢山あり、それを参考に描いていたと思う。

 高校の進路で、やはり本に関わる仕事がしたかったので、図書館司書になる為に、普通高校から短大に行って資格を取ろうと思っていた。
しかし、その頃父が病気した事もあり、将来大学進学は経済的に無理そうだった。結局、父の勧めで工業高校の建築科に進学した。
高校に入ってからも、相変わらず図書室に通い、海外文学や哲学書を読んで自分の世界に浸っていた。
でも、せっかく建築の勉強をしたのだから、将来は家一軒くらいは設計できるようになろうという目標を持った。
その後、高校も卒業して順調に資格も取り設計事務所を開いた。

 ふと考えて見ると、目標は達成したが夢とは違うような気がする。
目標は達成したと言っても、偉大な目標でも何でもない。
小学生の頃の小説家の夢、弁護士の夢、図書館司書の夢。
今思えば、この三つの夢の共通点は活字である。私は何でも良いから、紙面に書かれてる文字、あるいは文字で表現される言葉が好きなのかもしれない。

 いつも頭の片隅には、ちゃんちゃんこを着て、炬燵にすっぽりはまり、ビールと少々のツマミをつっつきながら、山積みになってる未読の本を、次から次へと読破している自分の姿がちらつく。
私の最後の将来像が時々脳裏に浮かんで来る。
 物欲も無く、おしゃれも興味無く、美味しい物も無縁で、ただ活字を目で追ってる毎日の暮らしでニコニコ笑顔。
側で見ていると、「何それ?」と言われそうだが、私にとってはこの姿こそ、究極のなりたい自分であり、夢なのではないだろうか。

 この究極のなりたい自分に到達するには、仕事をリタイアしていて、時間も自由で、かつ経済的にも大丈夫でなければちゃんちゃんこの生活は無理。その為にも、老いてくる体に鞭打って、ムカデの足のように、いろんな仕事を頑張って経済力を付けておかなくてはならない。

 人生いろんな岐路に立った時、その時の環境、助言で夢も目標も変わってくる。生きてる間、何度でも変わって良いと思う。
でも、子供の頃感じた本が好き、活字が好きという気持ちはずっと心の根底に潜み続けていた。夢は好きな事と通じるところがあるかもしれない。
いつかは本に囲まれて朝から寝るまで読書三昧の暮らしになってる事を願う。


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