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閑話休題「色々と終わりを迎える時代の中で」

資本主義の悪い面の象徴の様に言われるバブル時代ですが、私はあの時代の空気感は結構好きでした。

確かに老いも若きも濡れ手に粟の誘惑に踊らされたおかしな時代ではありましたが、少なくとも希望はありました。

そのバブルもあまり頭の良くないやり方で強制的に終了となり、その後は今に続く衰退への道をまっしぐらに進んで来たわけですが、ここへきてまさに正念場と言えるほどの大転換点にさしかかっていると感じます。

まあ、料理人の私が経済の事を書いても仕方ないので書きませんが、あまり明るい未来があるとは思えませんし、それは多くの方が肌で感じているのではないでしょうか。

バブルの終わり頃がそうだった様に、普通はこんな先の見えない時代になると宗教が盛んになるのですが、今はそうなっていません。

逆に既存の宗教の中で隠されていた問題がどんどん表に出てきて隠せなくなってきました。

隠せなくなったという事は、つまりだませなくなったという事です。

そんな中、宗教の代わりにスピリチュアルと言われる考え方や情報が多く発信される様になりましたし、その傾向は当面続きそうです。

こうした事実も含めて、今訪れている変化は過去1000年単位で考えても見られなかった様な大きな価値観の変革期ではないでしょうか。

ひとつ確実に言える事は、人口が減る中で消費をベースにした現在の資本主義は近い将来終わりを迎えます。早ければ数年の内に大きな転換点が来るかもしれません。

そしてもう一つ、伝統的な宗教が担ってきた役割にも変化が訪れ、既存の宗教は形を変えていかざるを得ないのではと思います。

日本の仏教に関して言えば、江戸時代からの檀家制度に守られたお寺の存続が今後は難しくなると思います。

既得権としての「お寺」の存在が難しくなるという事ですが、そうなれば「葬式仏教」と揶揄される現在の様な在り方から本来の宗教活動をするお寺さんだけが残っていくのかもしれません。

世の中にはお寺など世俗と隔絶された施設に救いを求める人は必ず居るわけですから、そうした人達の受け皿としてのお寺や教会などは社会的にも必要ですし、残っていくと思います。

一方で、細々と檀家さんに支えられてきた、地方のお寺さんは、人口の減少も手伝って専業でお寺を維持していく事は難しくなると思います。普段は別で仕事を持ちながら、何かの時だけ袈裟を着て駆けつけるといった事に変わっていくのではないでしょうか。

私個人も、もう田舎には戻るつもりはなく、お墓の世話も出来ない事から「墓じまい」をして檀家を離れるつもりでいます。

檀家を離れた人が自分たちの葬祭をどうするかというと、多くは特定のお寺に世話にならずに、樹木葬や永代供養などを選ぶ人が多いと聞きます。

つまり今私たちは江戸時代に始まった檀家制度の終わりを目撃しているのだと思います。

経済と宗教という、二つの価値観が大きく変わったその先には一体どんな世界が開けてくるのか。

これから大人になる子供達のためにも、希望に満ちた良い世界になる事を願ってやみません。

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