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最近の仮面ライダーはどうも煮詰まっている気がする話【※閲覧注意】

※本記事は仮面ライダーの制作側・スポンサーに対する熾烈な批判を含んでいるので、読みたくない方・苦手な方ははページを戻ることをオススメします。



僕はあまり公言しない方だが、"特撮好き"の人間である。小さい頃からずっとハマっている訳でなく、小学生の低学年で卒業したくせに中学生になってからハマったという身で、それ以来基本的にニチアサはちゃんと見てきた。尤も、キングオージャー以前までは…


ちなみに"ライダーオタク"とか"特撮オタク"を僕が名乗らないのには、ちゃんと理由がある。今流のオタクという考え方はあまりに軽薄で、なんだか名乗る価値があるものにはとても思えないからだ。というのも岡田斗司夫とか山田玲司とかあのようなインテリでかつ物事に対して造詣が深い教養人こそ本来オタクと言われるべき人なんだろうし、ましてたかがちょっとの作品しか見てない自分は無知そのものだという強い自覚があるからだ。だからあくまでも"好き"という言葉に留めている。そしてこれは、本来的なオタクの方々への畏敬の念でもある。

まあ脱線はこのくらいにして、
ズバリ

最近の仮面ライダーはマジで煮詰まっている

と思う訳です。

僕自身仮面ライダーに再び触れるようになったのはゼロワンの後半あたりからなのですが、ギーツまでは視聴してきてはいました。加えて公式Youtubeの配信などで数作は見た程度という感じで、そこまで見まくった訳ではない凡庸であると先に断っておきます。ちなみにガッチャードは一、二話を見てから見るのをやめました。無論、その理由は上記の通りです。

さて、仮面ライダーが煮詰まっている3つの理由を述べようと思います。

①スポンサーにへつらう仮面ライダー

仮面ライダーセイバー(2020):令和ライダー2作目

煮詰まっている理由なんか火を見るより明らかです。それは、

スポンサーにゴマスリし続ける永久機関へと凋落しているからである!

もう見るのに嫌気が刺してしまったのはこれが非常に大きいです。これがかつて改造人間として悲しき運命を背負い戦った戦士の行き着いた先なのだと思うと、それこそ二重の悲しみが感じられるものです。

具体的に言うと、ストーリーがとにかくn号ライダーと新フォームを出すためだけに作られていて、何もかもが本質からズレていくばかりだということです。つまり、スポンサーの商売のためだけの作品と成り下りつつあると言っても過言ではないのです。例えば仮面ライダーセイバーなんか主人公のセイバーのフォーム数は実に23、総ライダー数は13で、総ライダーの全フォーム数は51にも上ります(これはテレビ本編のみの計算なので、外伝作品などを含むともっと増えるでしょう)。いや…覚えられんわ。

どう考えたってこんなにフォーム数があるなりライダーがいるなりすることはストーリーのノイズのはずです。それでもこんなに無理してまで出すということは、恐らくスポンサーの都合が優先されている結果なのでしょう。つまりは作り手側とスポンサーのパワーバランスが、スポンサー側に強まり過ぎているわけです。先述のセイバーの例が異常であることは一目瞭然ですが、令和ライダーは伊達じゃあないです。ゼロワン、リバイスは概ね同じ数値ですし、ギーツは全ての数値において遥かに凌駕しています(ギーツは物語のシステム上しょうがない部分もあるのですが)。鎧武とか龍騎とか響鬼とか、往来の多人数ライダーよりも更に度を越している上に、これらが連続で起きているのです。歴史的に見てすごい時代なんだなと思わざるを得えません。

更には、こんなにフォーム数が増えるとストーリーの展開の仕方が大体決まってきてしまい、目新しさのかけらもない所謂「知ってる展開」をさも感動的かのように見せつけられる、これが繰り返されます。しかも一つの作品内で繰り返され過ぎるため、そこまでカタルシスもありません。フォームが変わるごとに楽しめる子供はまだしも、内容は毎年似たような展開が続くだけです。その点戦隊は形式的な面白さと、それをどこまで崩すのかのせめぎ合いが絶妙で、こと形式美的な観点からは明らかにライダーより優れていると思います。ともかくこの状態から長年にわたって抜け出せずにいるライダーの制作側に対しては失望しかないのです。というか、公式サイトのブログを読む限り、抜け出そうとすらしてないように思えますがね。

これらの事をもってして、仮面ライダーはスポンサーの犬に凋落したことの証左となり得るでしょう。

②アイデンティティを完全に見失った仮面ライダー

仮面ライダーゼロワン(2019):令和ライダー1作目

そもそも論ですが、仮面ライダーがどのような存在であるかという造詣が足りなすぎると思うのです。僕がライダーに復帰したゼロワンは見た目からも「原点回帰」などと言われますが、内容的には何もかもがそれ独自のモノです。つまり、決して「仮面ライダー」である意味は無いわけです。別に、「とある日突然社長になっちゃってAIの美人秘書に人類の運命任された件」とかでも良いわけです。かろうじてライダー要素と言えるのは「変身」の掛け声、変身ベルト、見た目くらいで、形骸化もいいとこです。尤も、僕が当時視聴してた頃は、周囲に勧めてくる友人が多くて、アニメ見るのに飽きてたし見てみるかーぐらいの気分だったのでここまで考えてもなかったんですがね。

話を戻して、この問題は突き詰めるとクウガが何故仮面ライダーである必要があったのかと言うところに行き着くのですが、おそらくそれもスポンサーの意向であったりとか、またはメタルヒーロー枠だと人気が出にくいというのもあっただろうとは思えます。そりゃ龍騎も555も響鬼も、仮面ライダーである意味は商業的にはあるでしょうが、本質的にアレらは仮面ライダーでは無いはずです。石ノ森のDNAを継承する仮面ライダーはナニかということになるとまた難しいですが、いわゆる「正統派」という括りで言えば①昭和ライダー ②ネオライダー ③庵野秀明のシン が妥当だと思います(③はギリ怪しいですが)。それ以外はもはや傍系ライダーと形容されるべきです。平成・令和・そしてThe First、Next、アマゾンズ、BLACK SUNなどは正統派とは言い難いでしょう。あくまでライダーの名を借りた別物です。しかも驚くべきはこれら傍系ライダーには共通項が「変身」しか見当たらない訳です。そんなのいつどこの変身ヒーローが言っても成立することでしょうが。これがひとつのシリーズであるというのは、あくまで名目に過ぎないのであって、内容的に統一されたシリーズだと言い張るのはあまりに商売臭すぎます。クウガの存在が許されたのは、妥協のない作り手側の本気があったからかもしれないですが、逆に言えば「クウガ」という成功なしにして仮面ライダーというコンテンツのこれ以上の改造はあり得ないというほど、本来的に完成されたモノなのです。まあクウガは正直個人的に物凄く好きなんですが、仮面ライダーがナニかという史観的にみると、罪深い存在だなと思います。(だから「古代戦士クウガ」の方がネーミングとして納得できるというのが私感です)

近年に話を持ってくると、作り手側も「仮面ライダー」がナニであるかということを思考放棄してるとしか思えません。特にウィザードぐらいからはテーマがほぼ大喜利状態で、やれ魔法使いだの武将だの医師だのと、やってることは戦隊とそう変わりません。一応昔は差別化を徹底していたそうですがそれすら辞めたのでしょうね。しかもあろうことか「仮面ライダー」という言葉の定義もままならないまま、都合よく使い出すんですからね。ゼロワンのラストなんか今思うと酷くて、「自由のために戦う限り、誰しもが仮面ライダー」などと言うんです。そんな言葉嘘っぱちじゃないですか。誰の目にも明らかですよ。それは建前というんです。もっと言えば、子供騙しというんです。本質的に何であるかを考えず、ただただ往来のやり方の破壊を続けた結果、こんな成れの果てになってしまったのでしょうか。

ならば仮面ライダーのアイデンティティが何であるべきかということはここで語るべきですが、冗長になって話がより纏まらなくなりそうなのでいつか一つの記事として書いてみようと思います。

まとめると、仮面ライダーという言葉を考えもせず、本質や方向性を完全に見失ってしまっているのは、シリーズの凋落と捉えてしまえるのだと言うことです。

③ファン層の固定化が進んでいる

これまでは公式側の話題でしたが、ファン側にも変化は少なからず起きてきたはずです。今現在の仮面ライダーのファン(自称オタク含む)は、とりわけ玩具と強化形態に関して強い関心を持つ傾向が見て取れます。それは作品がそれを売りにしているためであるのは瞭然ですが、ここにもスポンサーの戦略が見て取れるわけです。原初はキバ・ディケイド辺りからですが、小物系アイテムの付け替えなどが定番となり始め、現在ではこれ無しでは公式・ファン共に考えられないというところまで来ているでしょう。それほどまでに馴染んでしまっているのです。これを狙ってやったのかは不明ですが、明らかに購買意欲のあるファン層の獲得を目指してきたのだとは分かります。小物系アイテムは採集家にとって目から鱗かもしれませんし、買う人はどれほど出したって買うでしょう。つまり、商業的に都合が良い顧客のみに向けた作品になってきていると言えるのではないでしょうか。こそに重きを置いてもしまえば、①②で述べたような醜態にもなるでしょう。クウガから入った新規層も、555〜響鬼の間に多くが脱落しているはずですし、現状に文句を言うであろう顧客をどんどん振り落としていった結果が現在なのだと思います。俗に言う「嫌なら見るな」精神がこのような作用を果たすのなら、それは本当に正しいのか疑問を覚えます。

ともかく、玩具と強化形態の乱発される現状に喜ぶ層は、今後もきっと喜び続けるのだろうと思います。そしてその層が消えない限りは、仮面ライダーは形骸化を極めてまでも続いていくでしょう、それこそ永遠に。この話は仮面ライダーのみに限った話ではないですが、現在の特撮ヒーローのとりわけ強い傾向だと思います。

現在の顧客にとっても、スポンサーにとっても、現状はウィンウィンでしかない。 それが顧客層の固定化を招いて、より石ノ森章太郎の原典からかけ離れ続けていくでしょう。それを美化して進歩と言えば聞こえは良いですが、その先が煮詰まっているであろうことは言うまでもありません。スポンサーの圧力、顧客層の固定化、制作側の慢心。これら3つが絡み合ってほどけないというのが、現状の表現として適切だと思います。



以上が最近の仮面ライダーが煮詰まっていると思う理由3つでした。

僕個人が仮面ライダーシリーズに思うこと

今現在では特撮をとかく褒めちぎっている人が多いですが、この現象も先述の③で説明できると思います。別に悪いことだとは思いません。だって好きなことがあるというのは素敵なことだと思うし、個人の自由という言葉に尽きますから。とは言え、純粋な評論というものがもう少しあっても良いのでないかと、やはり思ってしまう。特撮というのは100年後には日本の伝統文化とされているでしょうし、もっとSNSでそのような議論が活発になっても良いのではないかと思います。

そんな僕が今後の仮面ライダーに対してどうあって欲しいかと言いますと、ハッキリ言います


仮面ライダーシリーズの解体もしくは不定期的な制作体制に移行して欲しい


やはり、この現状というのは何年も制作を連続していることにもあるのかと思います。体力の消耗を抑えているのもあるでしょうが、ロケ地もゆかりの場所ばかりです。それよりだったらクウガの時みたく、長期間の構想と撮影で、完成度の高い作品を見せてもらいたいです。それは別に映画やVシネマであっても構わないと思っています。また或いは、シリーズを解体して、もっと多様性が高い様々な特撮作品を作って欲しいと感じます。こんな酷いことを散々言ってきましたが、何だかんだで僕も仮面ライダーは好きです。好きが故の失望です。この現状が続く限り、僕が仮面ライダーに復帰することは難しいかもしれません。しかし、一特撮好き人間として、今後の特撮界隈が希望溢れるものになることを願っててやみません

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