つれづれなる時間

こんばんは。

正月(終わりかけ)なだけあって最近はドラマをよく見ています。

おっさんずラブは思いのほかはまりました。

田中圭と林遣都がついに結婚したねー、というやり取りを
戦前生まれの祖母ときゃぴきゃぴ話しています。

腐女子マインドは世代を超える共通感覚であって、
もしかしたらジェネレーションギャップを埋めるツールになるんじゃないかと、
BLの可能性を画策しているところです。

あと、バカリズムさん脚本の新春ドラマ「侵入者たちの晩餐」も見ました。

前半はあるあるを交えつつ丁寧に進行し、
後半にかけて怒涛の畳みかけで一気に展開していく感じ。

まったく飽きずにみられて、
「え、うそ。もうおしまい?」と終わるのが惜しくなりました。

その流れで同じくバカリズムさん脚本で昨年大ブームになった
「ブラッシュアップライフ」の再生ボタンをクリックしました。

まだ途中ですがやはり面白いです。

これだけ三昧していると、ドラマにはわくわく感以外にも効能があると気が付きます。

そのいちばんは現実に対してドライさを取り戻せることです。
私たちは目の前の世界だけを必死に生きていると、
まるでそれだけがただ一つの現実かのように感じてしまいます。

その結果、人生のままならないさや自分の至らなさに悲嘆ばかりしてしまいます。

でも、たとえフィクションであれ、画面越しにいろんな人生を見ているうちに自分の人生が標準化されていって、「まあ、こういうもんか」と冷静に観察できるようになるのです。

すると変な気負いがなくなります。

それはそうと、私は今この記事を書いている、夜の22時あたりの時間がすきです。

やることやって(終わんなかったものは明日でいいかと割り切り)
テキトーにくつろいでる時間。
この時間を仮につれづれなる時間と名付けましょう。

今日はそんな時間にコンビニでワッフルを買ってきました。
粉タイプのレモネード(最後の一さじのためほぼ白湯)と合わせていただきます。

ひさびさの糖分が身体じゅうに行き渡ります。

うぉーー、おいしーー。罪深きあじーー。

セブンのワッフル

ここで終わったらただの糖分摂取になってしまうんで、
ワッフルについて調べるという知的活動を試みてみます。

そもそも、ワッフルは小麦粉、卵、バター、砂糖などを使った生地を、二枚の鉄板に挟むような形で焼き上げたお菓子です。

フランスでは「ゴーフル」っていうらしいです。
日本では「ワッフル」といえばふわふわのやつ、
「ゴーフル」は固いせんべい的なやつであって全くの別ものですが、
分けないのが世界標準なんですかね。

大きく「梨」っていっても「西洋梨」と「日本梨」で全く違う的な、
あれなんでしょうか。

ワッフル最古の歴史は古代ギリシアにあるそうです。
二枚の金属板を使って生地を焼いていたのだそう。

古代ギリシャではこれを「オベリオス」と呼んでいたらしいです。

それからキリスト教を通じてローマ帝国に取り入れられたり、
庶民たちの食卓に普及していったりして、
まあ、いろいろ紆余曲折ありながらも
パンとは違う独自のアイデンティティを獲得していったようです。

そしてなんやかんやあって今のワッフルにいたります。

こんな風に時空と国境を超えた大規模スケールで、
食べ物の歴史を調べるのは楽しいもんですね。

ちなみに日本では12/1がワッフルの日らしいです。
覚えてたら食べなきゃですね。

今回参考にさせてもらったサイトはこれです。

なんやかんやを知りたい方はどうぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?