見出し画像

母について②母の病気を知った日

こんにちは
看護師まーです。

今回は母の病気が分かった日のお話しです。

私の母は身長140cm 小さくて丸い人でした。
食べるのが大好きで、美味しいものをよく知っていました。

そんな母がある日、私の病院で検査を受けさせて欲しいと電話をかけてきました。

数日前に背中が痛くなり、胆石だと思ってクリニックで調べてもらったら、胆のうに影があるので精密検査を受けるようにと言われたらしいのです。

まだこの時は、油こいものを食べ過ぎたんじゃないの?なんて言ってました。

母を連れて私の勤務する総合病院へ

この時点で胆石なら胆石と言われているはずなので、私と母はできもの、腫瘍であることは薄々分かってました。

「手術でとれば治るから、大丈夫。」と
母を励ましならが病院に向かったのを覚えています。

受診手続きをする時の事です。
クリニックから病院へ宛てたお手紙の内容がチラリと見えたのです。

そこには「肝臓に多発の腫瘍が」と書いてありました。

看護師の私はこの時点で、母はもう早期のがんではない事が分かってしまいました。母の病気は治らない。がんと付き合っていく生活になる。見つかるのが遅すぎる…


母に悟られまいと1人で病院のトイレで泣きました。

母と過ごす時間が自分が思っていたよりも、想像を越えて短いことを考えると、ただただ悲しかった。どうして私の母なんだろうと思いました。

勘の良い母は私が泣いていた事もきっと知っていたと思うけど、知らないフリをして気丈に受診してくれました。

初診では精査の必要性とがんの可能性がある事を伝えられ終了。

この時点では原発がどこなのかが分からず
肝臓に腫瘍が複数あることだけが分かっていました。

母「連れて行ってくれてありがとうね。お母さん頑張るわ。」と

母は肝臓に複数の影がある事をクリニックで言われて知っていたようです。
看護師である私に怖くて言えなかったと。
また泣けてきて…実家に母を送った後、家に帰って1人で大号泣しました。

母の病気を知った日
地獄に突き落とされたような気持ちでした。
なんで母が…  
どうしてもっと早くに気づいてあげられなかたったんだろう…
がん検診を受けるようにもっも強く言えば良かった。自分を責める毎日でした。

精査をすすめないと治療ができないので、母を励ましならが検査入院に送り出したのでした。

この続きはまたの機会に

10年以上前のお話なのに、これを書きながらまた思い出して泣いてしまいました。
母に会いたいぞー。
私の母は偉大な人でした。

看護師まー



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?