愛する大人たち

 とある日、とある場所でとある人に「ここは何もなくてつまらない」と言われた。確かにそこには目立つものはなかった。決まった観光地はないし、信号は多いし、ホテルのシャワーも少しぬるかった。その場所は変な例えだけど、血が行き渡っていない足の末端部分のようだ。

 とある人は言った。「京都なら古くて面白いものも多いのに」僕はそれに同意したが、結局はその人の好みなのである。「何もない」と言うが、ホテルの向かいの建物には、そこそこ新しいピンボールがあったし、少し歩くと趣味の良いレコード屋があった。そこには確かに誰かの熱が込められているのである。

 僕はそのように誰かの熱に触れることが好きだった。誰かが熱狂的に何かを語らう姿を見ることが好きだった。一生懸命に自転車に乗る練習をしている子供のように、真剣な眼差しをする大人が好きだった。

 どこにでも好きなことをする大人がいることは良い事だど思う。好きなことができる場所があり、好きなことを語る場所がある。「何もない」とは言うが、そこには様々な人の好きなことが溢れているのだ。

 周りを見てみると、少しの小銭で誰かの熱を味わえる場所が多く存在することに気が付ける。「何もない」というのなら、周りの人間をよく観察し、その人たちの熱にあてられるのも悪くないだろう。

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