小山田壮平/andymoriの背景にある輪廻観

今回は小山田壮平さんのつくる音楽の背景に見える輪廻観について考えてみようと思います。

聞いたことがある方がほとんどだとは思いますが、そもそも輪廻(サンスクリット語でsaṃsāra-)というのは、仏教用語であり、俗にいえば生まれ変わりです。しかし、ただ生まれ変わるということを表した用語ではなく、主体(魂や心のようなもの)が六道(6つの世界)の中で宿る先を変えながら、何度も生まれ変わり続けるのです。これを苦しみだとし、輪廻から抜け出すこと(解脱)を目指すのがインドの哲学・仏教観の根底にあるのですが、そんな輪廻転生観が小山田壮平さんの音楽に見いだせる(と自分が勝手に思っているだけかもしれませんが)ので紹介します。長くなってしまうので今回は2曲のみの紹介になりますが、「他の曲にも輪廻観が見いだせた!」という方はコメントで教えてほしいです!

1. Life Is Party

andymoriの楽曲の中でもっともインドの思想を前面に出していると言ってもよいのがファーストアルバムに収録されている「Life Is Party」です。輪廻転生はインドから始まったとされる思想なので、勿論この曲にも輪廻観があらわれています。
歌い出しから「昔インドの偉い人」という、、、。歌詞にある「Life Is Maya」と呟いたインドの偉い人は、シャンカラという人物です。彼はインド六派哲学の一つであるヴェーダンタ学派という学派を代表する思想家です。詳しい話は主題から逸れるので省略するとして、サンスクリット語である「Maya」(正しくはmāyā(マーヤー)ですが)というのは、「幻想」という意味です。この世界など本当は存在すらせず、すべては認識がマーヤーに見せられている幻想である、といったところでしょうか。そのため、次に続く歌詞「勘違いの連続が僕らの人生なら」なのでしょう。「Life Is Party」とは「人生は全部幻想なんだから、そんなに重く受け止めず、パーティーみたいに楽しんで生きていこう」ということを言いたいのではないかと私は思います。
次の「奈多の海岸 パラグライダー 飛んで行った」という所ですが、奈多海岸というのが小山田壮平さんの故郷である福岡県にあるらしく、そこでパラグライダー体験ができるので、Life Is Partyで表現したい「楽しさ」を歌っているものだと単純に考える事もできますが、あまりに具体的な歌詞過ぎるので、結構疑って考えた結果、これ以外に2つの考えが出来上がりました。

1. 奈多という地名は、「波が非常に立ちやすい」ことから付けられたと言われているらしく、波が多い海に飛んでいく人生を表現している。
2. 奈多は江戸時代には奈多落雁と呼ばれており、奈落を連想してしまう地名であるため、奈落(終わることのない輪廻)に飛び込んでいくパラグライダー(魂)を表現している。

個人的には2の方だとしっくりきます。結構こじつけ感はありますが。
輪廻は「はじまりの無い昔から何度も繰り返されている」という表現もされるほど永遠的なものであり、それを奈落に飛んで行くという表現にすることは例えとしてとても分かりやすく、パラグライダーのようにフラフラと輪廻を漂っている感じも伝わります。(ちなみに「奈落」という言葉はサンスクリット語(インドの古典語)の"naraka-"が語源です)
「輪廻は永遠的に続くが、全部幻想なんだから勇気をもってそこに飛び込んで楽しく漂おう」という感じです。実際シャンカラ率いるヴェーダンタ学派は、世界が幻想であることを理解することによって輪廻から解脱することを目指したので、この考えとは違います。
そもそも「マーヤーだからパーティー!」という考え方自体、シャンカラとは異なっているので、壮平さん独自の考えでしょう。

しかし小山田壮平さんが輪廻に肯定的な意見なのかというと一概にそうでもなさそうな歌詞もあります。「いつの日か悲しみは消えるよって」は、まさに解脱を表しているように思えます。いつか輪廻という悲しみを抜け出すときがやってくる、という、輪廻を楽しんでいた先ほどの感じとは全く反対の一節です。

この矛盾は曲最後にもあらわれます。「Life Is Party 明日もずっと 続くよって」という最後の歌詞は、完全に輪廻が永遠的に続く様子を表しているようですが、その後のアウトロの演奏では、永遠的に続きそうな単調なリズムが急にブチっと切れてこの曲が終了します。歌詞では輪廻が永遠的に続く様子を、演奏では輪廻から解脱する様子を表しているように私は感じました。

以上より、この曲には、輪廻(大きく言うと人生)というものを楽しみながらも悲しみを感じ、いつかは抜け出す必要のあるものだととらえている小山田壮平さんの思想が感じられました。

2. Sunrise&Sunset

輪廻思想を表している楽曲として紹介するべき2曲目はサードアルバムに収録されている「Sunrise&Sunset」です。
この曲は明るい曲調とは反対に、とても切ない歌詞になっています。
それがあらわれているのが何度も繰り返されるサビの部分です。
「Sunrise&Sunset 嘘つきは死なない
Sunrise&Sunset 争いは止まない
Sunrise&Sunset 欲しいものは尽きない
Sunrise&Sunset 悲しみは消えない」
という部分。
嘘をつくこと、争うこと、何かを欲すること。これらは輪廻から脱することのできない原因となりうる業(ごう)です。(ただ、なにを業になる行為と捉えるかは思想によって基準が異なります。すべての行為が業になると考える思想すらあります。)このような業を重ねることで、輪廻という悲しみから抜け出せなくなってしまいます。業が繰り返され、輪廻転生も繰り返されてしまうということを、Sunrise&Sunset(日が昇り日が沈む)という、地球で永遠的に繰り返し続いてきた、そしてこれからも続いていくであろう現象で表現しているのでしょうか。

そして、歌詞の内容だけではなく、このフレーズが3回も繰り返されていることからも、輪廻転生が何度も繰り返されていることを強調していると考えます。こんな長いフレーズを3回も繰り返している曲は、小山田壮平さんの楽曲の中でほとんど見たことがないので、明らかに意図的であると思います。

まとめ

以上2曲だけの紹介ですが、小山田壮平さんが輪廻観を曲に反映させていることが分かったのではないかなと思います。ですが、個人的に感じたことをこの記事に書いただけなので、必ずしもこの輪廻観を小山田壮平さんが持ってるとは言えないです。ただ、こんな風に考えていたらおもしろいな、という感じを皆さんと共有したいので、皆さんの考えをコメントでも教えてください!

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