主語がでかい
最近気になること
いつものように教師のバトンを眺めていると、気になることがありました。
「教師は社会を知らない」「教師は○○」などなど。
これを見かけたとき、思わず「俺関係ないやん…」「それ一部やん…」と思ってしまいました。中には「教師のこと何も知らないのか…」といったものもあります。
ただ、正しいことを言っている方も多く、その意見には納得しますし、考えさせられることもあるので、一概に不満を抱くわけではありません。
何が気になるのか。
主語がでかい
いやー、主語が大きいんですよ。「教師は○○」といった内容です。もちろん、どれくらいの教師に当てはまるのかは内容次第です。たくさんの教師にあてはまるものもあれば、小数も。また、その人が出会った教師や、報道やSNSなどで知った情報などからなのかなと思います。
気になるのは、一部の教師のことが全体の教師のこととして言われることはもやっとしてしまいます。公務員ですので、言われることは仕方のないことかもしれませんが…。気持ちはよくないですね。
中には責められるべき?教師もいます。言いたいことは分かります。でも…。なんでしょうね(笑)
主語が大きいと楽
まあ、主語を大きくしてしまうと楽ではあるんですよね。レッテルをはってしまえば余計なことを考えずに済むんですよ。自分にとっての例外を排除して、思考をすっきりさせることは普通のことです。
学級でも似たようなことが起こります。意地悪な子どもやよく問題を起こす子どもに対して友達はレッテルをはることが多いです。「どうせ○○さんがやった」とか「○○さんが悪い」とかね。その子が悪くなくても決めつけることがあるんですよね。周りのクラスは「○組は…」先生方は「○組は大変」などと、印象が強いものに引っ張られるし、一部のことが全部のこととして語られることがあるんです。
大人もそうですよね。どうしても今までの経験から先入観をもって考えてしまいます。良いことも悪いことも。
主語は適切に
まあ、何をつぶやいても良いんですけど、自分が気を付けようかな…って話になっちゃうんですけどね。ただ、日頃過ごしていて、主語が大きくないかを気を付けようかと思います。最近では「文科省は…」といった思いを抱くこともありますが、文科省で働いている方全員に不満をもっているわけではありませんしね。
あと、一部の教師のことでも、自分事として捉えておくことも忘れないようにしたいですね。柔らかく受け取ろうと思います。そして、適切な主語を使おうかと思います。
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