見出し画像

教師も人

教師であるが、人でもある


一人の人として

 子どもの前に立つということは、1年間、ずっとその子たちに見られるということ。教師としてだけでなく、一人の大人として見られる。言動、立ち振る舞いを見られる。生き方を見られる。考え方を見られる。
 多分、1年間授業をする中で、学んだ知識も大きいけれど、この一人の大人としてもしっかり記憶される。大きな影響を与える。
 子どもたちの生き方に影響を与えるのかもしれない。

授業だけではない

 もちろん授業は大切なので、力を入れていきたいとはずっと思っている。でも、中身の薄い人間に深い授業ができるだろうか。言葉で書くと簡単だけれど、いざ考えると、中身のない人間によい授業ができるのだろうか。
 まあ、よい授業とかなんとか、いろんなことが分からない状態ではあるので、勉強しなければと思う。ただ、中身の薄い教師によい授業ができるのか…。と考えてみると、やっぱり人としても生き方を考えねば…。と思う。言語化ができていないのでなんともですが。
 授業にしても、生徒指導にしても、普段の子どもとのかかわり方にしてもね。

魅力ある人

 一緒に1年間過ごすなら、やっぱり魅力ある人間がいい。子どもに対しても思う教師はいるのではないか。「今年の子どもは…だ」的な。
 実際子どもも思っているだろう。ただ、子どもにすり寄れという話ではなく、魅力ある人間でありたいという話。
 いや、魅力ってなんだよっていうのはこれから考える…。自分の魅力ねぇ…?

モデルになる人

 子どもが出会う大人は多いのか、少ないのか。まあ、出会う人に影響されるので、少なくとも良いモデルでありたい。でも、すべてを見られていると考えたら大変なので、悪い影響を与えない。というスタートが自分にはちょうどいい。それから、自分の持ち味は何なのかを考えようかな。

学ぶ

 子どもからも学ぶし、同僚からも学ぶ。「こうあるべきだ」から「こうありたい」と考える。変化は大歓迎。という姿勢でありたい。学んだうえで、取捨選択していくだろうし、選択したことがその子たちにとって正解不正解があるかもしれないし。固定観念はよくないなあ。

人を育てる

 自分は偉そうに担任をしているので、やっぱり人としてどうかというところも考えなければならなくなった。年も取っていくし。教師は授業だけではないのかな。と思うようになった。すべてを完璧にするんだってのは無理な話なので、こうありたい。という考え方がちょうどいい。多分、生きていくうえで普通のことなのかもしれない。教師がどう、という話でもなかったのかもしれない。
 数年前は授業が一番!なんて考えていたけど、どれが一番という話ではなくて、人としてどうあるかも子どもに影響を与えるので、人としての生き方も考えていこうかなぁ、と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?