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作文審査

作文を審査する

先日、子どもの作文を審査する機会があり、学校代表として行ってきました。各校代表の先生方で作文を読み合い、審査要領に沿って審査をしていきます。

今回は、審査をする中で思ったことをまとめてみようと思います。(夏休みに書いてました…)


基本的なルール

第一に作文の基本的なルールが守れていないものが多いこと。誤字脱字もあり、段落がない、「」の使い方などのルールが守られていない作文が多くありました。

正直、担任をもっていた時は、宿題に作文を書かせて、代表を選んで、添削をして提出するなど、結構な負担でした。何でこんなことに時間を使わなければいけないんだ!的な気持ちですね。なので、教師の手が入っていない作文と指導をしっかりしている作文がまるわかりでした。この辺はまた後程。


ただ、審査をしてみて思うのは、「これは添削以前の指導の問題だな」と思うものもあり、これは良くないなと思いました。

せめて誤字脱字は指導する、もしくは子どもが見返す習慣をつけるなど方法はあると思います。


体験から良い作文が生まれる。

高学年の作文審査を担当しました。審査をする中で読み手に読ませる文章、分かりやすい文章などはもちろんあり、共通するもの二つが見つかりました。


それは、数多くの作文を読む中で、引きこまれる作文は「体験」からテーマが生まれているということでした。

身近なことからテーマをつくっている子どもが多い中、ひと際引き付けるものは、子どもが強く心を動かされた体験でした。だからこそ主張が一貫していて、理由も強く、説得力のあるものになり、読み手が引き付けれる文章になっていました。テーマ選びが重要になるのかと思います。

また、テーマが地球環境など、広いものになってしまうと、子どもと距離ができ、調べたことを並べるものになる可能性もあり、難しさを感じました。

作文の型、話題や主張→理由(事例)→主張などの作文の書き方?ができていれば読みやすく、分かりやすい文章になります。しかし、読み手を引き付けるのは強い体験、思いがこもったものなのかな、とおもいました。合わさると良いのかもしれませんね。




しなくても良い?

ただ、正直なところ、作文コンクール的なものはしなくても良くない?とも思ってしまいます。

作文を見ていると、教師の指導の跡がよく見えます。同じような内容でも、やはり教師の指導が入っている文章の方が読みやすいです。さらに、指導が入っていなさ過ぎて、選考から落ちるものもありました。

そんな作文達を見ていて「果たしてこれはする必要はあるのか…」と思いました。教師の指導があれば選考に残っていくことに違和感を覚えました。

担任からしたら負担です。でもした方が選考に残っていきます。しかも「できるだけ多くの学校から選ぶ」などといったよく分からない文章まで。偏ることもあるでしょうに。指導が入っていない作文達は入っていかないですからね。

参加しない学校があって残念。的なものまであるのももやっとしました。微妙なずれを感じることもありましたね。しかも、授業に関係ないやん…。授業と関わるテーマならまあ…。いや、負担ですかね(笑)どうせするなら授業の中で書かせた文章を指導したい…。


まとめ

後半はぐちになってしまいました。ただ、引き付ける作文は体験から生まれているというテーマ選びの大切さがわかったので、良い経験でした。

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