海に生きるための資格 〜ヘミングウェイ『老人と海』を読んで〜

⚠️ネタバレを含みます⚠️

老年にして運が尽きたかと思われる老漁師が、大カジキを死闘の末に釣り上げるも、サメに食われてしまうという話。

海がもつ力が躍動感を持って描かれていた。印象的だったのは、終盤のシーンだ。サメに食われ、骨だけになってしまった、大カジキを持って帰った老人はそのまま小屋に入って、長い熟睡状態に入る。彼が持って帰ったものに、漁師仲間は驚きの歓声を上げるわけでもない。ただ、老人の船の傷ついた部分を修理するだけで、他に特になにもするわけではない。

老人が費やした大カジキとの死闘の三日間は、無駄だったのだろうか。

こんなことになるならば、彼は漁に出なかった方がよかったのだろうか?いや、そんなことはないだろう。では、彼がこの死闘を経て、得たものとはなんだ?彼は、このカジキを釣り上げることで初めて、海を本当の意味で知ることができたんじゃないだろうか。

大カジキとの死闘の最中、老人は何度も意識を失いそうになる。そのたびに、彼は自分の意識に喝を入れ、目の前のことだけに集中する。そこには、死に物狂いの現実との対峙がある。

大カジキを釣り上げた後、老人はある境地に達した。

あらゆるものが、何か他のものを殺して生きているじゃないか。魚をとるってことは、おれを生かしてくれることだが、同時におれを殺しもするんだ。


人間は、地球の生命の一種にすぎない。そんな当たり前のことを普段の生活の中で忘れることがある。我々が食事をするとき、アジフライが生き返って我々を食べようとすることはないだろう。常に捕食する側であるという安心感、驕りが我々の中に潜んでいることは確かなことに思われる。しかし、一歩海に出てみたらどうだろう。我々の体はあまりに貧弱で、海の前では全く歯が立たないことを知ることになるだろう。なにも持たない人間がただ一人海の真ん中に出たら、とたんに圧倒的弱者へと変わってしまう。それを老人は身を持って体感し、その中で戦い抜いたのだ。だからこそ、彼は海に生きるものの一員としての資格を得たような気がする。それを老人はきっと誇りに思うだろう

圧倒的不利な状況で、人間の精神はどこまで強靭でいられるか、どこまで戦えるかを、人間の弱さとともに鋭く描き切った、名作だと思った。


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