見出し画像

見栄っ張りの文学〜坂口安吾『堕落論』を読んで〜

太平洋戦争と、無頼派(新戯作派)の台頭は、切っても切り離せない関係にあると思う。日本は、戦争に負けた。それは、日本がかつて培ってきた、天皇制や、武士道などに代表されるような、忠義の文化が負けたということだ。それは、日本人が日露戦争での勝利によって作り上げた自信を粉々に打ち砕かれた経験になっただろう。

日本人の美意識は、純粋なものを嗜好する。美しいものを、美しいままで終わらせたい。そういった欲望が、武士を切腹にかりたて、若い兵士を玉砕させ、文学者を自殺に追い込んだ。また、坂口安吾が指摘した通り、日本人は一方で全く別の事を信じていながら、それと相矛盾することでさえ、信じ、拝むことができる。それは、信じるということが、日本人の中で形骸化し、教義よりも、整えられた様式美に魅せられていたからではないだろうか。作法にこだわり、それに絶大な信頼を寄せていた日本人には、戦争においてもそれが神的な力を発揮し、敵の軍隊を滅ぼしてくれると固く信じていたのだろう。しかし、その力は、遂に発揮されることは無かった。

敗戦の結果、一時的にGHQの傘下になった日本人は、もはや何を信じて生きていけば良いのか、分からなくなった。その結果、形式という日本人が持っていた絶対神に対して、猜疑の目が向けられた。その世の中の厭世的な気分が、無頼派(新戯作派)を生み出したのだろう。世の中を滑稽に、茶化したような文体に、私は悲哀を感じる。ボコボコに殴られた子供がなお、笑顔を浮かべおどけているような…。そこには哀愁漂う見栄っ張りが透けて見えるのだ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?