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『昭 田中角栄と生きた女』 を読んで

彼女が背負ってきたものの重さ


アマゾンでの星1のレビューを拝見して心が動き、読んだ。
私は自殺未遂を起こすことはなかったし、親は政治家ではないし、戸籍に悩むこともなく、親の経済力は遥かに違うが、著者と似た歪みを持っているから。

この本のタイトルの『田中角栄と生きた女』とは、田中角栄氏の秘書頭だった佐藤昭さんであり、著者の母上である。
表紙写真で角栄氏と並んでいる女の子が、著者の佐藤あつ子さんだ。

アマゾンの星1のレビュー二篇での、あつ子さんへの批判は、私自身への批判のように感じながら、ほとんどを頷く思いで読んだ。
正直に言って、あつ子さんの文体に、妙な高揚感と、地に足がついていないような違和感を感じる部分はある。
それは、幼少期からの長い期間を、地に足がついた落ち着きが得られない環境で育ち、その影響が抜けない状態で書かれたからだと思う。
また(自分を棚にあげて書くが)どこか歯痒さを感じる面もある。
星1レビューでの「言い訳ばかり」との批判に通じるところだと思う。

母上の人物像の描写が足りないのは、やむを得ないと思う。
関係性が強烈すぎて近すぎると、距離感を持った、言語化が可能なほどの捉え方は非常に難しい。
中学時代に腕時計を落とした時の「そうじゃないだろう」や、「柴田錬三郎氏のようなことを言う大人が母のまわりにもっともっと居て欲しかった」という切実な心境は、刺すように響いた。
自殺が未遂に終わった時の心の叫びも。


「いつまでも親に経済的に依存して」という批判は当然あるだろう。
だが、 一見恵まれた環境で、高圧的な親に先回りした配慮をされ続けて(それは支配でもある)育った無力感の根深さは、傍観者には理解できない面がある。

話が飛ぶようだが、児童養護施設で育った子ども同士が結婚すると、家庭生活のロールモデルがないため、普通に「生活する」ということが困難なケースが多いのだと、山田太一氏のエッセイで読んだことがある。
大変僭越ながら、あつ子さんの経済的自立についても、似た面があるのではないだろうか。

「大きくなったら何になりたい?どんなお仕事したい?」というような質問を、素朴にやりとりする環境ではまったくなかっただろう。
家庭的な安心感がまったくない状況で「昔から私の家には分不相応なお金があった。何か後ろぐらいことがあってもおかしくない」という不安に苛まれ続けておられたのだと思う。

あつ子さんが経済的な自立を試みては挫折を繰り返したのちの「依存」は、必要な休養期間のように見える。

失礼ながら、自己肯定感が低迷した状態でこの本を書かれているはずだ。
文庫本あとがきには、単行本が出版される頃は、母上が遺した貸金だけでなく借金もあり、複雑極まりない状況だった、と記されているが、
負債の整理についても、他のことでも、ご自身のことを実際よりひどく低く切り捨て、自負を持って良いことでも、書いておられないことが幾つかあるだろう。


この本の最後に、あつ子さんと立花隆さんの対談が収録されているが、これは、あつ子さんからの希望で、文藝春秋の一室で行われたものだそうだ。
この対談には、当時の文藝春秋編集長・木俣正剛さんも同席された。
木俣さんの「『田中角栄研究』に人生を狂わされた娘が、立花隆さんと対峙した夜」というウェブ記事(2020年)によると、
あつ子さんは立花氏と対面すると号泣し、それは1時間近く続いたとのこと。

50代になった人が、1時間近く号泣するということ。

「あつ子が背負ってきたものの重さを思うばかりだった」と、
最相葉月さんは、この本のレビューで言葉少なに書いておられる。
(「最相葉月 仕事の手帳」(2014) 所収)
最相さんは、あつ子さんが対談の始まりに号泣したことは当然知らずに、レビューを書いている。

この本や木俣さんの記事を読めばわかるが、木俣さんの記事タイトルの
「『田中角栄研究』に人生を狂わされた」という表現は、的確ではないと思う。
あつ子さんは、昭和49年の文藝春秋11月号に『田中角栄研究』と『淋しき越山会の女王』の二つの記事が掲載されたことについて、
「残酷かもしれないが、母の権威が失墜することに、解放感を味わった」
と書いている。

自分の親の理不尽さを注視し告発するも、自分の存在については言及を避けた記事。
それは、母親に人生を狂わされることから逃れるために自殺未遂を繰り返していた少女には、外界から自分の環境を理解し、風穴を開けてくれるような救いだったはずだ。
それで変わるような母上ではなかったけれども。

50代にもなったあつ子さんは、初対面の立花さんや編集者たちの前で1時間近くも号泣せざるを得なかった。
それほどの積年の重圧を、最相さんは文面から、さまざまに深く感じ取られたのだと思う。

できるならば、刊行後9年経った今、あつ子さんが何を思っておられるか、
最相さんとの対話を伺いたい。。


***

あつ子さん
この本をお書きくださって、ありがとうございます。
自分を確認するよすがとして拝読しています。
骨盤骨折もされたのに、娘さんを産むことができて、本当に良かったですね。
あつ子さんの人生に「お兄ちゃん」が居てくれたことも、本当に良かった。

あつ子さんと娘さん、「お兄ちゃん」とご家族、恵子さんのご健康とご安心を、
そしてお母様が今は、ほっとした笑顔でいらっしゃることを、
心から願っています。


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