太守、帰国候


ニンゲンのバランスはとてもむつかしい。
何かが十分になるまで、ひとしきり努力すると、かえってその十分がいつか手を離れるのではないかと大いに悩む。

私たちの悩みは、往々にして生活の敵であり、悩みをどうにか忘却の淵に追いやろうと手を尽くすわけだ。
けれど、その手立ての中で最も一般的な方法である充足は、不安定であり、今この瞬間はそうであっても、明日にはそうではないのかもしれないという考えがずっと纏わりつく。

何かを遠ざける為の方策として、遠ざけたいその物を自身のうちに飼わねばならないというのは大した皮肉である。

自分のわかっている事や自分が知っている事は、いつだって能力として発揮でき、自身の形質として、自身にあるモノだと思うけれど、
そういう自認は実際は少しばかり距離がある。

重要なのは、自認と実際に距離があるという事をわかっていなくても、少なくとも、きっと距離があるだろうとか、あるのではないかとか、そういう様な発想があれば随分マシになる。

言葉にするのは実に簡単だか、そういう想定を思い込みの激しい世界で持ち続ける事は尋常な事ではない。

容易で安易な事は、それは無力な言葉の中、ありきたりな自分の思考の中でしかない。
実際というのは、自分が思うよりももっとずっとむつかしい事なのだ。

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