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【小説】フェイブル・コーポレーション 第四話

 六月の初旬。フェイブル・コーポレーションの設立から二ヶ月が経つ。
「……あっ。龍介くん、だめよぉ」
 昼下がり。ひと気のない山道にとめたベンツの後部座席で、女が声をあげた。
 だめ、といっても、後部座席に移動して誘ってきたのは女のほうだ。
「やんっ、やだ……」
「嫌なら、やめちゃおっか」
 龍介は女の身体をまさぐる手をとめて、上目遣いで問う。
「ううん。ちがうの……」
 賭場に来るのは、龍介たちが呼び寄せた旦那や水商売の女だけではなかった。フェイブル・コーポレーションの噂はしだいに各地に広まっていった。企業の社長、雑誌編集者、馬主、芸能人、中国人などがやってきた。
 目をつけた女には、龍介は手が早かった。
 龍介から誘いをかけるようなことはしない。誘ってもいいですよ、という雰囲気を、龍介は女に対して醸しだすのだ。
 本日の獲物は、かねてから目をつけていた、胸に巨大メロンを備えた、三ノ宮のキャバクラ嬢。このベンツも彼女のものだ。
 スマホの着信音が鳴った。
 一瞬にして、車内の空気が白ける。
「……えーっと、ちょっとお待ちを、仔猫ちゃん」
 龍介はポケットからスマホを取りだし、耳にあてがった。
『どこをほっつき歩いてんだ』
 拓海の怒りをあらわにした声が、龍介の耳に刺さった。
「なになに、拓海クンよぉ。いまこっちはお楽しみ――」
『すぐにもどれ。大事な話がある』
 電話が切れた。
 龍介は苦笑して、女に顔をむけた。
「仔猫ちゃん。もうちょっと待っててくれる?」
「待つって、どれくらい」女の口調は冷めている。「あたし、帰るね。夜から仕事だし」
 龍介は車をおりるしかなかった。
 ぶつぶつと呪詛をつぶやきつつ、龍介は賭場にもどった。洋間に入る。
 スピーカーからは、チャールス・ミンガスのアルバム『アー・アム』が流れていた。重厚なベース音が、腹のなかに響いてくる。
 拓海はテーブルについていた。ノートパソコンを開いている。
 テラ銭の収入だけで、ふたりは充分すぎるほどの暮らしを送っていた。ステレオコンポに、大型のプラズマテレビ、いま拓海が開いているノートパソコンまでも揃えられるほどの金を得ていた。
「まったく、いったいなんの話だよ、拓海ィ」
「来てくれ」
 拓海の表情が曇っている。龍介はパソコンの画面を覗いた。
 画面には、賭場の客人たちの名前がリストアップされており、一日ごとの大体の収支が統計されている。拓海は五月に入ったあたりから、ノートパソコンを購入し、客の収支データ表をつけているのだ。勝ちすぎる客、負けすぎる客を認識するためだ。
「皆から和也と呼ばれてる子どもだ。彼に勝ちがかなり寄ってる」
「子どもっつっても、おれらと同い年くらいだけどなァ。五月からウチに来てるやつだっけ」
 拓海は親指の爪を噛んだ。
「五月半ばから、少しずつ回銭も出はじめている。和也が旦那衆の隊列を乱しているんだ」
 龍介は腕を組んでため息をつく。
「しゃァねえ。とりあえず、和也の打ちっぷりを観察してみっか」
 夕方から夜にかけて、客がぞろぞろと訪れた。
 午後七時になると、和也もあらわれた。無地のネルシャツにスキニーパンツというのが彼の常の身なりだ。拓海は和也を子どもといっていたが、たしかに小柄で雰囲気は幼さを感じさせる。それゆえに旦那に気に入られて、この賭場を紹介されたのだろう。彼はいつも客たちが揃いはじめる時間帯に決まって出勤してくる。
「ささ、奥へどーぞ」
 龍介は和也を和室に連れていき、拓海に目配せをした。
 和室ではもう博打ははじまっている。和也は一礼すると、客たち七人の円座に溶けこんだ。
 今宵の博打種目は、ダイス三つを丼に落とすゲーム「チンチロリン」だ。
 親ひとりと子方の戦いであることはホンビキとかわらない。まず、子方はその回の勝負に対する賭け金を目の前に提示する。張りが確認されると、親は丼のなかにサイを三つ落とし、ゲームははじまる。三つのサイのうち、ふたつが同じ目で揃えば、残ったひとつの目が出目となる。たとえば、二二五とでれば出目は五。三四四とでれば出目は三。出目は数字が大きいほど強い。
 チンチロリンには役がある。
 三つのサイの目が、四五六の「シゴロ」ならば配当は二倍。
 二二二や五五五といった三つのサイの目がすべて揃った「ゾロ」は三倍。
 一一一のゾロ目である「ピンゾロ」だけは配当五倍。
 一二三の「ヒフミ」は逆に倍ヅケ。
 以上がチンチロリンにおける役だ。
 親から左回りにサイを振っていき、親の目と子方一人ひとりが勝負していく。親も子も、振りなおしは二回まで。つまり、二三五や一四六といった具合に、出目も役もつかないバラバラの目なしがでれば振りなおすことになる。三回振っても目なしの場合は負けだ。
 もし親が、出目で六、役の目、三回とも目なしをだせば、その時点で子方に振る権利は回らずに一回の勝負はついてしまう。この賭場でのチンチロリンでは、親が目なしか、一の出目、一二三をだせば、強制的に親権は流れるルールにした。また親は意思しだいではいつでも親権を流すことができる。
 チンチロリンには合力がつく必要もない。龍介と拓海は、和室の隅に対角に座り、テラ銭を徴収しながらも、一方では厳しい表情で勝負全体の流れと和也の動向をうかがっていた。
 いまのところ、運はだれに偏っているでもない。客たちの冗談や笑い声で場は盛りあがっている。
 対して和也はたまに微笑をうかべるくらいで、適当に大張り、小張りをくりかえしている。
 三十分後、子方で六の目をだして勝ったジャンパーを着た旦那が、左どなりに座る旦那から親を引きついだ。
 ここで偏るかもしれない――龍介は目を光らせた。
 予想どおり、ジャンパーの旦那は猛連荘をはじめた。初回が六でカキ目、次回は三という弱い目で子方に全勝してしまう。二回目の親の勝ち方を見て、自分と親では運気に差があると感じたのだろう、和也はケン(賭け金を張らずに勝負を見守ること)にまわった。
 やがてジャンパーの親が流れると、和也は一転して五万円を張り額に提示した。次の親は黒縁眼鏡をかけた旦那だ。彼は当初五十万を手もとにおいていたのだが、二十万ほどにまで減っている。
 和也は客の軍資金の多寡を見て、運気をはかり、ここいちばんで勝負を挑むのだ。黒縁眼鏡は三投目にでた目が一二三で、全員に倍ヅケをするはめとなった。
 黒縁眼鏡は一気に負けが込み、申しわけなさそうに、
「すまないけど、三十ほど……」
 と龍介に回銭を頼んだ。
「ハイ、ただいま!」
 金庫にむかおうとした龍介に、さらに声が飛ぶ。
「私にもお願いできるだろうか。十万……」
「龍介くん、あたしにも回してくれる?」
 弱っている客はまだまだいた。
 大勢が傾けばケンに徹し、金を積みあげている客には逆らわない。逆に金を減らしている客には勝負を挑む。和也のスタイルは、麻雀でいうところの〝二着狙い〟であった。ツキに乗っている者の後ろに隠れて、しっかりと実利を稼ぐ。一日のトータルは客のなかで二着でも、一週間、一ヶ月という長いスパンで見れば、ひとり勝ちだ。
 最近では、盆は明け方の始発がでる時間までつづくこともあったが、今日は終電間際にお開きとなった。
「またお越しくださいまし!」
 和也を含め、客人は皆、帰途についていった。部屋の扉が、重々しく閉まった。
「あの和也ってやつ――」洋間にもどると、拓海は陰気にいった。「読みや腕は、中の下といったところか」
「ま、そんなとこだなァ。ダンナたちよりかは格が上だけど」
 拓海は椅子に座り、テーブルに肘をついた。
「客たちは皆、行儀がいい。今日も、回銭はでたが、いつもすぐに返してくる――だからこそなんだ。マナーがいいから回銭なんて、できることなら要求したくないだろう」
 拓海は龍介に人差し指をむけて諭すようにいった。
「つまり、将来は皆、この賭場を離れていく。離れざるをえない。客は賭場にとって命なんだ」
「でもよォ、和也は悪さをしているわけでもないしなァ」
「それはそうだが、毎夜毎夜の回銭では、いずれこの賭場自体も危なくなる」
 龍介が拓海の対面の席についた。
「話は早ぇじゃねえか。おれたちの出番ってわけだろ! あいつ、ぶっ潰してやろうぜ!」
「だめだ。場主が参戦しはじめたら、賭場は末期だ」
「チェッ、まだ意見はかわらねえか。慎重なやつだのォ。――ま、そういうと思って、案は練ってあるけどな」
 拓海は顰め面をつくった。龍介に話の先をうながした。
「高校ンときを思いだしたんだ」龍介はテーブルに両肘をつけて身を乗りだした。「おれたちは博打で敵なしだった。タッグを組んで、いろんな賭場を荒らしまわったよな」
 拓海は短く笑った。
「昔話か」
「まァ、聞け」龍介は鋭い視線を拓海に注いだ。「あのころ、おれたち以外にもモノホンの博打打ちがいたよな。覚えてるか」
 拓海は少し考えるように、下をむいた。
「……一匹狼なやつだった。やつは僕たちと勝負をしてもリツにはならないとわかっていたから、いちども手合わせをしたことがなかった――」
 そこまでいって、拓海は目を見開いた。
「まさか」
 龍介は微笑んだ。
「そうだ。あの男……加賀新十郎! やつをウチの賭場に呼んじまおうぜい」
「呼んでどうする気だ」
「決まってんだろ、ウチで雇うんだ。おまえが雀荘ジャムでやってたみたいな、裏メンとしてな」龍介はふんぞり返って鼻を鳴らした。「あいつ、しくじってなけりゃいいけどなァ」
 拓海が記憶を辿るように、顎に手をやった。
「雀荘ジャムで、あいつと同卓したことがあったんだが、健在だったよ。会話なんてしなかったが」
「マジか! 携帯の番号とか知ってる?」
「知らない」
 龍介はテーブルを叩いて、勢いよく席を立った。
「ならよ、高校ンときのアルバムでも引っ張りだして、自宅に電話かけちまおうぜ」

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