人と会うと感じる他者との隔絶
昨日今日と、久々の旅行でした。
一緒に遊ぶ機会の多い友人とです。
人と一緒にいて良いことは、たとえば美味しい料理を一緒に食べたときに、これ美味しいねと言い合えること。
たとえば美術館で同じ絵を見て、この色がきれいだねと言い合えること。
彼・彼女の話を聞いたときに、そういうこともあるよねだとか、共感してあげられること。
私の話に、そうだよねと相槌を打ってくれること。
***
人との交流の価値は、共感し合えることにあると思います。
それができないとどうなるか。
私は美味しいと思ったけれど、あなたは少し首を傾げてて。
同じ絵を見てるのに、感じ方が違ってて。
あなたの意見を理解してあげたいけれど、その考え方は私とは違うなあと思ってしまって。
私の話が、聞こえていないのか、わからないのか、上の空な反応で。
そういう、共感し合えない体験が重なることで、「誰かとわかり合いたい」という欲がどれほど叶い難いものなのか思い出されるのです。
そうすると、自己完結的な考えが、心の内側からどんどん湧き出してきます。
……「私のことを本当に理解してくれるのは私自身しかいないのだ」
「人と本当の意味でわかり合うことなどできない」
「私は誰のことも理解できていないし、誰も私のことなど理解してくれない」
「どこまでも孤独だ。だのに人と同じ時間を過ごす意味なんてあるのか」
「友人は必要なのか。孤独に身を置くことで私の心は守られるのでは」
「もう、人と極力会わずにいるべきでは」
***
人と遊んだあとは毎回毎回こういう悪い考えに呑まれていってしまいます。
しばらくすればまた人と会いたくなるのは経験的にわかっているので、落ち着くのを待つしかないのですが。
もっと、人と楽しく過ごせる人間になるよう努めるべきなのか、私の生来の性格として諦めるべきなのか。
未だに毎回、悩んでしまうのです。
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