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LAP9期 コンピュータサイエンス単元 事前課題

事前課題内容

LAP9期 コンピュータサイエンス単元 事前課題

◎講師:株式会社Fusic 取締役副社長 浜崎 陽一郎 氏
<課題図書>
孫泰蔵著「冒険の書-AI時代のアンラーニング-」
<課題>
・ChatGPTを使ってみる。
・「どのような仕事を奪い、どのような仕事を新しく創出するのか?」という課題に対してチームでまとめる。
<発表方法>
課題3分で発表し、2分で質疑応答(A~Dチーム)

各チーム、制限時間内で発表ができるよう、スライド作成と発表の練習をお願いします。

以上

LAP運営

①chatGPTを使ってみる

私自身、大学の友人よりも話をしているchatGPT。それほどまでに、日々私はchatGPTを使っているがグループメンバーも使っていたが多様な使い方がMTGの中でわかった。大体四つに分類できると私は学んだ。

chatGPTの使い方
①わからないことを聴く/パーソナライズされたニーズ供給
わからないことを質問するために使用する。個別のニーズに応じた回答が得られる。

②ChatGPTと競争
自分の能力を向上させるためにChatGPTと競争する。切磋琢磨して成長を目指す。

③くだらないことをさせたい
日常のくだらないことや興味本位の質問をする。面白さを求めて使用する。

④効率化のため(奪ってほしい仕事)
単純作業や面倒な仕事を任せることで効率化を図る。デザインや文章作成なども含む。

MTG議事録からChatGPTが生成

ちなみに私は全ての使い方で使ったことがあるが、①はハルシネーションが怖いので、一応確認している。

②「どのような仕事を奪い、どのような仕事を新しく創出するのか?」

主語がない…。それが一番最初に感じたことである。主語は、コンテキストから考えて、chatGPT、生成AI、AI…。少し斜に構えて、人間を主語にして、AIの仕事を人間がどう奪い、AIもしくは人間が仕事をどのように生み出すかという見方もありだと冗談交じりに考えても見る。結局、私は人工知能が主語だと考えてみるようにした。

人工知能が人間のどのような仕事を奪い、人はどのような仕事を新しく創出するのか。

ぱっと浮かぶのは、煩雑で無駄とされる仕事が奪われ、人はAIを扱う仕事やクリエイティビティが必要な仕事を新しく創出していくと思う。何となくこの路線から深めようと思ったが、個人的には上手くいかなかった。

そこで、課題図書の『冒険の書ーAI時代のアンラーニングー』から少し考えを借りようと思う。

筆者によると、AI、それはメリトクラシーの最終兵器かつ解放者であるため、人間は仕事から解放されると述べられている。人間には能力というある一つの統計を実際に存在しているかの如く扱う能力信仰を持っている。その能力信仰を基盤として、能力を持った人は社会的地位の高い立場に立つべきだというメリトクラシーがアリストクラシー(貴族主義)に対抗して誕生した。一見、平等で合理的なメリトクラシーだが、その結果、学校教育ではいじめや生きた学びを持つことができなくなっていると筆者は指摘する。そのメリトクラシーは能力をアップデートし続ける人間を欲していたが、AIが誕生したことでそういう人間の仕事を奪うというわけだ。詳しいことは、以下にまとめる(解釈も一部含めているため間違っている個所もあると予測されるので、もしおかしいと思った人はぜひ読んでほしい)。

①能力信仰の誕生背景
・ホッブズ「万人の万人に対する闘争」
人は利己的な生き物であることを前提としている国家論。そこから、生存競争を勝ち抜くことという強迫観念が生まれた。その強迫観念が生き残るために能力が必要であるという考えに繋がる
・イヴァン・イリイチ
学校が技能訓練と人間形成の結合
学力が低い=頭が悪い=落ちこぼれ
→能力が高い人が偉い

②能力信仰
・能力とは
能力=知能を図る知能テストが広まりによって生まれた統計
(統計的な数字でしかない)
→能力信仰(能力を高めないと幸せにはなれない)

・学校教育の罪
能力信仰をゆるぎないものにしているのが学校教育。 子どもたちを保護し、すべての子どもたちに自由で平等な教育の機会を提供するという理念がむしろ人々に自己責任を問い、格差や不平等があってもしかたがないと思わせ、自由な学びの機会を奪うように。

③能力信仰の結果
・エタカ・佐伯『「わかり方」の探求』
「遊び」と「働き」と「学び」の分離
遊びと働きの区別:工業化によって、お金重視になり、遊んでなんかいられない
遊びと学びの区別:まじめなべんきょうばかりで疲れるから休憩時間をつくる
みずから進んでする遊びと受け身の遊び:疲れをいやすニーズに応えるためのエンターテインメント企業(遊びが消費に)
→つまり、能力信仰が能力の身につくものと身につかないことと分離させた?

・イヴァン・イリイチ「人間の機械化」
性能が高くて、壊れなくて、使い勝手がいい能力をアップデートし続ける人がいいとされる
(社会に自分を合わせているってことかな)

④能力信仰を基盤にしてメリトクラシー
メリトクラシー(meritocracy):社会における人間の地位は、生まれ等によって決まるのではなくその人の能力によって決まるべきである。 能力によってその人間の地位が決まる(p212)
⇔アリストクラシー(貴族主義)にたいして不平等なくすために生まれた。

⑤メリトクラシーの最終兵器「人工知能」
機械が自分で自分の能力をアップデートできるように。③で述べたような能力をアップデートするような人はいらなくなる。

人工知能化した機械の前に機械化した人間はひれ伏すしかない。 つまり、人工知能という「メリトクラシーの最終兵器」が、人間から労働環境という能力主義に汚染された場所から解放するため、「メリトクラシーの解放者」にもなりうると。

「冒険の書-AI時代のアンラーニング-」

結局のところ、価値判断と創造性だけは人間に残されると筆者は指摘する。なにに価値がありそれがどういう意味を持つのかを判断しそこに創造性を感じることは人間にしかできない。AIなどをつかって人間にしか出来ない仕事を楽しむ人間を育成するべきであると。

さらに内村鑑三『後世への最大遺物』を引用し、自分の人生そのものを遺すことを伝える。

・内村鑑三『後世への最大遺物』
遺すべきものとして ひとつは「お金」(孤児院寄付など) 二つ目は事業(治水事業、探検事業) 三つ目は思想(本を残すこと)を内村は挙げる。
→しかしこれらを遺すことはできないかもしれない。だが内村はそれに対して、人間の後世への最大遺物としては、「勇ましい高尚なる生涯」があるという。これこそが本当の遺物だと。

どれほどこの地球を愛し、どれだけこの世界を愛し、どれだけ私の同胞を思ったのかという記念物をこの世においていきたいと。

「冒険の書-AI時代のアンラーニング-」

筆者はこれを受けて教育を再構成・再定義する。

教育とは 人々を救うためにはどうすればいいか この地球をよくしていくためには何をすればいいか を生涯探求すること 自分の生涯を通じ自分が生きた「意味」の変遷を魅せていくこと。

「冒険の書-AI時代のアンラーニング-」

AIに仕事が奪われるおかげで、私たちは能力信仰から解放され、私たちはAIにはできない「地球全体を善くする仕事」に注力することができる。それこそがこれからの時代の人間にしかできない最高の仕事だと筆者は指摘する。

もう、これ以上ないかっこよく勇敢で、美しい答え・姿勢である。それらを踏まえて、私のダサく不格好だがただただ勇敢なだけであろうとする問いの答えは、能力信仰を基盤とした仕事が奪われ、探求信仰を基盤とした仕事に価値を見出していくである。

探求信仰、つまりどのように問いに持つのかというその問題設定にこそ価値がおかれるような仕事が必ず来る。機能を発揮しないマルセルデュシャンの『自転車の車輪』に価値を見出せるように。問いを持ち、その問いが私たちを縛り付ける楔となり、私たちは「ありがとう」という世界への感謝に帰結すると。もっと言えば、目の前の命への畏敬こそが、私たちの仕事になると。結局、私は昔のnoteでも述べたように「ありがとう」と「だいすき」に帰結する。しかし感謝と愛に安住することなく、この問いをもち(AIにはできない新しい仕事)、その問いから”ともだち”をつくり、そのともだちという命に感謝し愛していきたい。この循環こそが、私たちが”すき”に向かっていくという事、「自分が生きた「意味」の変遷」に他ならないものであり、人類最大の仕事という”やさしさ”であると思う。









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