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複数ある「あたし」のなかで

「交換日記」の始まり

「交換日記みたいなのやってみたい」
「ほんとにやろうよ!」
「どちらが先に書く?」
「じゃんけんで決めよう」
「じゃーんけーん」

こんな会話をしたのが先々週くらい。
あたしとマルチェはもう社会人であり、いい大人なんだけれど、まるで小学生みたいにわくわくしていた。
何を書こうか考えながら、マルチェの更新を待っていたのだけど、書いてくれた記事を読んでびっくりした。本当に同じようなことを書こうと思っていたからである。
どう呼び合うか問題についても、まさに思案していた。マルチェちゃんは何となく噛みそうになるのと、マルちゃん、は色んな方にかぶってしまうので、普段は名前にちゃんをつけて呼んでいるけれど、親しみを込めて、愛をこめて、呼び捨てにしてみようかと思う。
もし差し障りなければ、いつかマルチェのハンドルネームの由来を聞いてみたいなぁ。

マルチェといる時の「あたし」

「分人主義」という考え方について自分のnoteで少し書いたけれど、あたしの分人はいくついるのか、少し数えてみたいと思う。
「職場でのあたし」、「家族といる時のあたし」、「幼なじみといる時のあたし」、「恋人といる時のあたし」、「社会福祉士としてのあたし」、「たった一人で行動する時のあたし」、「マルチェといる時のあたし」。7人の「あたし」がいるのだと、仮にする。(本当はもっとわんさかいるかも笑)
そう考えた時に、「マルチェといる時のあたし」の存在感が物凄いのである。
マルチェといる時のあたしの自己開示の仕方は本当にあっけらかんとしている。気を使わず、受け入れられないかもしれないという恐怖は無く、頭の中に浮かんだ言葉をそのまま声に変えることが出来ている。
あたしとマルチェは、同じ地域に住んだことも、同じ学校に通ったことも、考えてみれば共通の友人もほとんどいない。それなのに、本当にお互いがお互いを支えていることを実感して、一緒に大人になってきたと思う。
一緒に泣いて、笑って、怒って、たたかってきた仲間だと心から信じられるのは、適当に奇跡とか言いたくないけど、奇跡とも言えるはず。
なんてありがたいんだろう。
あたしたちは間違いなく、お互いを必要としている。

「手紙を送る気持ち」で書くということ

マルチェが日記を始める時に、まずはあたしに手紙を書くつもりでやってみる、と言ってくれた。

あたしはもともと文を書くことが本当に好きで、頭の中はいつも誰かに何かを語りかけたくて話したくて伝えたくてたまらないような妖精さんが沢山いるような感じである。
学校でも作文の時間は大好きだったけれど、書けないと嘆く子達もたくさんいて、そんな子達に先生が「手紙を書く気持ちで」「誰かに伝える気持ちで」とアドバイスしていたのを思い出した。あの時はそんなアドバイス無くてもすいすい書けていたし、今だってそうだけれど、改めてマルチェとこうやって交換日記を共にすることになった時、頭の中の妖精さんたちが活発に活動をしてきている。

あんなことを書こうか、このことを書こうか、あの曲の思い出だけでひとつ書こうか、いろんなことが沢山浮かんでいる。あたしこんなに書きたかったんだ、とびっくりもしている。
大人になったら、手紙を受け取ってくれる人なんて居なくなることがほとんどなのに、受け取ってくれる人がいる。これは本当に幸福なことだ。

ゆるく長く、続けて行けるように。
愛をこめて書いていきたい。



そして、ここではマルチェの真似をして、あたしも最後になにか歌を載っけていこうと思う。
あたしたちを繋いだ音楽も、交換していきたい。

同じような毎日だけど
きっと繰り返しではないさ
昨日見た夕焼けは
いつもよりオレンジが濃かった

昨日の涙と、今日のハミング(高橋優)


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