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ドアを開けようとして走った衝撃

先日、ドアを開けようとした話をする。
とくに大きな展開が待っている話ではない。

私の家の玄関ドアは、電子錠などではなく一般的な鍵を差し込んで解錠するものだ。車でも徒歩でも帰ってきた時は、ほぼ無意識に鍵を探りながら玄関に向かう。
そしてこれも同様に鍵穴にカギを差し込み解錠して、ドアノブを捻ってドアを引き開ける。ただいま。

その日も同じ流れで、意識してやっていることではない。しかし、その日は玄関に右上隅に蜘蛛の巣が張っていることに気を取られ、気を取られながらドア前に着くと、思わず蜘蛛の巣を手で払ってしまった。家主の蜘蛛の在宅状況は分からないが、なんとなく反撃を恐れて早く家に入ろうと急ぎ気味でドアを引いて開けた。

その瞬間、腕にかかる凄い抵抗を感じた。
肘にズキっとした痛みを感じ、咄嗟にドアノブから手を離した。

解錠するのを忘れているやん。

その時私は、自分の認識に誤りや誤解があったときのダメージの大きさについて考えました。

私はドアを解錠済みで、開くものと思いドアを開けた。しかも急いでいたのでいつもより力強く勢いがあった。そして空いていなかった時のダメージはなかなかのものだなと。しかも、これは私のうっかりミスであって、受ける必要のないダメージであった。

こんな状況って日常でも考えられるなと思いました。
その時っていわゆる「どっと疲れた・・・」みたいな感覚になるんだと思います。

錯誤的なものって、自分は間違っていないと思ったり、自分から見れば問題なく見えることから始まると考えると、なかなかリスクを回避しながら修正するのって難しいと思うけれど、期待したり間違いなく得られるはずだった成果を得られない時のショックはすごく大きいと思う。

じゃあ過度に期待しないほうがいいとも考えるけど、全部がそうとも限らない。
結果、思うようにはいかないよね〜って軽く流すぐらいの気概を持ち合わせたいものです。

本当にただの日常だったけど、自分で開いていると思って開けたドアが開いていなかった時の腕と脳内に走る衝撃が私に中であまりに大きかったので記事にしてみました。

今日もいい1日です。

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