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【自己紹介】自分語りをします①

web関連の仕事に就こうと頑張っているところです。
その経緯なんかをまとめていこうと思います。

僕のキャリア〜新卒

僕は2010年新卒の世代の人間です。
そのころに何があったかというと、就職氷河期がほんの少し改善されてきたかな?というくらいの状況でした。

2009年にあったリーマンショックで、先輩たちが途中まで進んでいた面接を取り止められたとか、自分も申し込みしようとしていた求人が今年度採用を見送ったとか、そんなことが結構ありました。

最終的に小売の業界に就職しようとするのですが、動機がまた結構不純で、自分の余暇を作りやすいのではないかと考えたのが大きな要因です。
今でも大きく価値観は変わっていないのですが、昔から【音楽・絵・武術】が好き…つまりお金になりにくいものを探求する姿勢が強かったものですから、仕事はそこそこちゃんとやって、自分の時間をしっかり作ってトータルの人生をいいものに出来ればいいと思っていました。

震災

無事にとある企業グループの系列に採用され、配属を受けた先の店舗はかなりの大型の新店でした。
僕は鮮魚部門に配属を受けて働くことになったのですが、鮮魚は調理加工が基本的に中で行われているので、結構な重労働になります。
冷凍の鮭の切り身を切るのも、ブリをおろして切り身にするのも、全て中の人が行っています。

そんなことなので、当然新卒で入った僕は数をこなすことができず、来る日も来る日も鮭の段ボールと睨めっこしては、夜遅くまで格闘するという日々が続いていました。
ちなみにその時のタイムカードは8時から18時稼働で残業1時間でしたが、実情は朝6時から店に入り、23時近くまで作業するというのをほぼ毎日やっていました。
僕は目に見えてやつれていたようで、パートさんや夜のアルバイトさんたちがだんだん心配するようになりました。よく昼食を取りながら寝てしまい、手に持っていた味噌汁を床に飲ませていました。

震災の時は店にいました。
当日は多くの陳列棚から物が落ちて、お客さんを避難誘導しました。
その時はまだあまり多くの情報が出ていなかったので、通常通りの営業時間でしたが、電車が止まって復旧できないといういうことがわかり、その日はタクシーで一旦帰り、先輩の家に泊まる用意をして会社に行くことになりました。

大学が近くにあるということもあり、パートさんやアルバイトさんは、被災地方にいる家族の心配をずっとしていました。
僕はそれがなんともいたたまれない気持ちでたまりませんでしたが、店内をすれ違った同期が、物流が止まっているから今日の展開どうしよう…と話しているのを聞いて、あぁ、本当はこの価値観にならないといけないのだし、自分はこの価値観に慣れそうにないな、と、自分の進退を考えるようになりました。

僕自身がもう少し仕事をやっていればよかったのかもしれませんが、上述の通りのスケジュールが重なり日々疲労も抜けず、数字を見るどころの話まで到底辿り付かなかったので、社員という名前のただの作業員の役割になってしまっていたのです。

そして、僕は『いつ死ぬかわからないのだから、自分の思ったような暮らしをしていきたい』と、5月ごろに会社を辞める決意をしました。

もうちょっと上手くいくかと思った

辞めた時は、自分で色々なことを考えました。
今でこそ入社3日で辞めるとか、色々な若者の実態も取り上げられたりしていますが、当時は就職浪人みたいなことをやる人も結構いたので、せっかく入れた会社を辞めるなんて!と周りに言われたりもしました。

ですが、小売にしても何にしても、自分の中で全然ストーリー性が結び付かなかったです。この会社で俺はどうなっていくぞ!みたいな。
まぁ刺身の調理や包丁の手入れなんかは、実習の先生がかなり丁寧に教えていただいたので、今でも身についていますし、話のひとネタに使ったりはするのですが…

ライブ活動なんかも悔しくてやったりはするのですが、ブツギレ状態でしか展開できない状態に相当苛立っていました。
言ってみたら、毎回毎回読み切りマンガしか書けない漫画家さん(失礼な)みたいな状態で、ストーリーを連続して展開できないし、せっかくライブをやってもこなし仕事みたいになっているのが自分でもわかって、大変つらい状態が続いていました。

長くなってしまったので一旦この辺で。
またよろしくお願いします。

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