学校で民主主義を教えてますか?
今回のnoteですが、元ネタはこの書籍です。
初版発行は2022年10月なのですでに1年以上経っているのですが、ほしいものリストに加えたままだったので、この機会に読んでみました。
私自身の教員生活でもいろいろなことに悩み、考える毎日でした。
事例を調べたり、そもそもの文献にあたってみたり、「これでいいんだろうか?」と常に試行錯誤でしたね。
そんな中、これだ!と思って共感できたのが、工藤先生の考え方でした。
先生方や保護者の方など、少しでも多くの方に伝えられたらと思い、noteに記しておきます。
学校を民主主義を学ぶ場所に変える
学校は学ぶ場所、というのは誰しも理解できますが、ではいったい何を学ぶところでしょう?
勉強、将来役立つ知識や技術、人間関係、など「個人のため」「社会のため」というものが挙がってきますが、工藤先生によると
ということです。
学校関係者ならご存知かと思いますが、OECDラーニングコンパス(学びの羅針盤)も紹介されています。こちらはなかなか堅いものになっていますので、分かりやすく紹介されたWebサイト等を利用されるといいかな、と思います。
異なる思想や文化を持つ人々がいる中で、平和な社会を実現していくためにはこの「民主主義」という考え方が重要です。
対立から合意を導く力を育んでいくのが、まさに「学校」の本質(のはず)。
日本の学校の大問題
民主主義を妨げる課題として6つ挙げてありますが、その中から2つ挙げておきます。
「学級王国」の問題
学校には、クラス、学年、学校全体、と大きさの異なる集団がありますが、みなさんはどの集団が一番大切だと考えますか?
先生の立場では、「担任している自分のクラスを一番に」と考えるのが通常です。
1年間の運営を自分に任され、日々の生活を共に過ごすことの多い集団なので当たり前のことです。
ところがこれが学級崩壊の引き金になることがあります。
それぞれの先生も人間だから長所・短所があって、性格も違うし、経験の差もあります。
中には、生徒の掌握や教科指導力に優れていて、突出して人気のある先生もいます。
学校にそういう先生がおられると良さそうに感じるのですが、その先生の隣のクラスで学級崩壊が起こるそうです。
なぜなら、子どもたちが「与えられる教育」に慣れてしまって、教員に依存し、比較ばかりするからです。
うまくいかない原因を自分たちに向けずに学級担任に向ける。
教員同士でも「お前のクラス、落ち着きがないな」と言われ、焦る気持ちが子どもたちに伝染して、さらに荒れる悪循環に…。
という流れです。
学校組織をよく商店街のように例えられる(商店街全体よりも個別店を重視)のですが、この点はちょっと異なるかもしれません。
商店街であれば人気のお店にお客さんは流れていきますが、学校では決められたクラスから変わることはまずありません。
そのへんをうまく解消したのが、学年担任制ですね。
先生の技量を上げれば問題は解決するという幻想
工藤先生が提案しているのは「自立を支援する技術」です。
このあたりの深い考察やねらいなどは実際に読んでいただくといいかな、と思います。
学校は「対話」で変わる
みんなが元気になる三者面談
三者面談は何のためにやるんでしょうか?
日常生活の情報共有のため、子どもの進路を決めるため、多くの学校ではそんな感じでしょうか。
これといった問題もない場合には、事務的に淡々と進んでいく面談を経験された保護者の方もおられるかと思います。
ということで、麹町中の先生方で設定した目的は次の3つです。
そうすると、先生方も状況を踏まえて自分で判断しながらうまくやっていくようになったそうです。
ふりかえり
書籍の帯に書かれていた「多数決の問題点、わかりますか?」は、さすがズバリのキャッチコピーです。
日本社会では、多数決が民主主義の根本と考えている方も多くおられると思います。以前の私もそうでした。
みんなで話し合って意見を出して、時間になったら最後は多数決で決める、そういう流れを学校生活で経験された方は多いでしょう。
途中まではいいんですが、最後(多数決で決める)が違うんですよね。
なぜ手段を間違えてしまうのか、というと「最上位目的が共有されていない」からです。
「えっ?」「は?」と思われた方は、ぜひ工藤先生の書籍を読んでいただくとよいかと思います。
どの書籍にも一貫してこのことは伝えられています。
学校教育は先生だけのものでもありません。地域や保護者にもできることがたくさんあります。
私たち一人ひとりがそれぞれ多くの人とつながっていき、子どもたちを育てていきたいですね。
というメモがわりのnoteです。
読んでいただき、ありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?