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教員の働き方・働きがい

全国的に先生が足りないけど…

教員不足のニュースが今日も流れています。
文科大臣・各県教育委員会での発言や都道府県議会でのやりとりからも、大きな課題となっていることが分かります。

でも、こういうニュースが流れても、危機感ってみなさん感じられますか?

残念ながら、「そうなんだ」と流してどこか他人事のように感じられる方がほとんどではないかと思います。
このことだけに限りませんが、これは仕方ないことです。

では、こちらだとどうでしょう。
「お子さんのクラスで担任の先生がお休みされることになり、当面の間、他の教員で分担しながら対応します」

そうなんです。
「わがこと」になって初めてその危機感を感じますが、そのときに打てる手は実際にはほとんどないのが現状です。

物理的にも心理的にも休めない先生

学校の先生方の間では、もう10年以上前から緊張感が高まっていました。

  • 体調が悪くても、クラスや授業があるので休めない

  • 産休や育休中の代わりの先生が見つからず、心苦しい

  • 部活動顧問を引き受ける人が少ない

  • クラス担任を引き受ける人が少ない

先生方個人からも管理職からも様々な声が上がっています。
どれも目の前に子どもたちがいるので、切実でもあり、悲痛の声です。
でもこれらは、なかなか表には出てきませんでした。
「子どもたちのために自分らでなんとかやっていこう」
という思いで…。
すでに限界を超えていました。

そのような現状が徐々に一般に知られるようになりましたが、それによって最も影響を受けたのが、教員志望者の減少です。残念です。

教育委員会はどうする?

そこで、優秀な人材を集めるために教育委員会は「教員という仕事のやりがい」を全面的に宣伝していくようになりました。
かっこいい先生、夢や希望に満ち溢れている先生、そんな姿をパンフレット全面に打ち出して…。
でもそれって本当かな。そんな先生も、裏では肩を落としてため息ついていませんか?
生徒の前で生き生きと振る舞っている先生でも、そのための緻密な努力をたくさん積み重ねています。そしてそれ以外の事務作業も山ほど…。
いいところを切り取って宣伝するやり方は、教育職に携わっている身としては「嘘をついている」感が拭えませんでした。

教育委員会は各学校への監督・指示の権限がありますが、教員の労働時間削減といった改革については、効果的な打ち手が出せません。
そこには子どもたちや家族への影響があるからです。

また、指示したところでそれを実際にやっていくのは各学校の先生方自身になるからです。ふだん見えないところから突然通知がやってきて混乱することは、教員であれば誰しも経験していることです。

「時短」第一主義ではなく、 「働きがい」を追求する改革へ

「働き方改革なので早く帰りましょう」という言葉をかけられました。
なぜか私にはものすごく違和感がありました。

 働き方改革 = 時短? そんなものなのかな…

早く帰れるから嬉しそうにしている先生方って、ふだんから早く帰っている(職務が少ない)先生方が多いです。
多くの仕事を抱えている先生方にとっては、ちょっと複雑な心境です。
ふだんから早く帰っている先生方には、個々の家庭に理由があってそうされている方もおられ、ふだんとても心苦しかった方もおられます。
なかなかに不幸な職場です。

何か足りないんじゃないかな、と思っていたところ、目に止まったのが愛媛大学の露口先生の研究です。

一人ひとりがやりがいを持って主体的に働く 働きがい改革を目指して
愛媛大学大学院教育学研究科 教授 露口健司

「働きがい」という言葉が独り歩きしている中で、きちんと整理して誰にも納得できる形でまとめてあります。
教育委員会や管理職の人たちはこのことを分かっているのかな。
もし分かっているのであれば、きちんと現場に降りてきていないかな。

となると、先生方自身がいったん手をとめて、自分たちの仕事や目指しているところを整理してみるしかないのかな。
チームメンバーの中から不幸な脱落者を出してしまわないためには。

学校教育の最上位目標は何?

目の前の一人一人の子どもたちへの対応、一つ一つの授業、学校運営に関する分掌業務、様々な工夫をこらしながら毎日を過ごしています。

丁寧にやればやるほど、自分の首を絞めます。
でも、そこに子どもたちが楽しく過ごす笑顔や成長を感じ取れるので、中途半端にはできません。

またこういったことは先生方それぞれに思いだけでなく、やり方も異なります。
異なるやり方が整理されないまま自由に展開された場合、その被害を受けるのは子どもたちです。

「担任の先生が○○先生だからいいね(残念だね)」
「授業の先生が○○先生だからいいね(残念だね)」
というのでは、ギャンブルと同じようなもので、
先生ガチャ、と言われるやつです。
もうこの仕組みになっている地点でOUTな気がします。

学校全体として目指しているもの、共有しているもの、が設定されていることが大切です。
登山に例えると、
全体で目指している目標が「富士山」であれば、どのルートから登るとか、準備するものが何かとか、誰がどう分担して進めていくか、いろいろと決めやすいはずです。
私はあの山にこのルートで登りたい、私はこっちの山でいいや、みたいになると最悪です。

この全体での最上位目標については、工藤先生の書籍が参考になりますので紹介しておきます。


まとめ

今回一番伝えたかったのは、愛媛大学の露口先生の研究です。
そもそも今働いている先生方のほとんどが「働きがい」を強くもっている方ですし、教員という仕事はとても魅力的な「やりがいある」仕事だと思います。。
それが自分たちで自分たち自身を苦しめている現状につながっています。

でも一方で、教育委員会や文科省が「働きがいを全面的に打ち出して教員を募集する」という形にも違和感があります。
教員という仕事にはやりがいが大きいのは誰にも分かると思います。
ただ、「働く」という部分に大きな足かせがあるんです。
そこを混同しないようにしてほしいです。
少なくとも文科省や教育委員会は「誤解を与えたり、ごまかしたり」しないよう、お願いいたします。
教育に携わる者として最低限守るべきところだと思います。

もっと先生方が生き生きと仕事に励み、もっと子どもたちが生き生きとした生活が学校で行えるようになってほしいです。
それが社会全体のウェルビーイングに繋がると信じています。

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