幸福否定の研究-8【幸福否定の発見と心理療法確立までの経緯-1】

*この記事は2012年~2013年にかけてウェブスペース En-Sophに掲載された記事の転載です。

【幸福否定の研究とは?】
勉強するために机に向かおうとすると、掃除などの他の事をしたくなったり、娯楽に耽りたくなる。自分の進歩に関係する事は、実行することが難しく、“時間潰し”は何時間でも苦もなくできてしまう。
自らを“幸福にしよう”、"進歩、成長させよう”と思う反面、“幸福”や“進歩”から遠ざける行動をとってしまう、人間の心のしくみに関する研究の紹介

ここから先は、笠原氏による「幸福否定の発見と心理療法確立」の経緯を紹介していきたいと思いますが、今回は、私が笠原氏の心理療法にたどり着いた経緯を簡単に書いてみます。

2002年~2003年頃、人格障害の患者さんを数名施術する事になりました。

うつ病や神経症といった症状で来院するので、その背後に人格障害があるかどうかは最初はわかりません。病院でどのように診断されたかを確認しますが、軽い病名をつけてもらっていたり、また、患者本人が診断名を正直に言わない事がほとんどです。

一言で人格障害と言っても、色々タイプがあるようですが(注1)私の治療院に来た患者さんは、リストカットや薬物中毒、自殺未遂、(誰かに見つかるような状態で行う事が多いので、実際の自殺例は経験がありません)あるいは、周囲に自殺をほのめかす…などの症状を共通して持っていました。

このような患者さんは、正常な生活を送っていて、うつ病、神経症などになった患者さんよりも異常性が高く、通常の人間関係が成立しません。

「周囲に何度も自殺をほのめかす」などがわかりやすい例ですが、「虚言が多かったり、行動も常識の範囲を超える事が多い」ので、西洋医学、代替医療を問わず「治療関係を結ぶ事自体が難しく、治療は難しい」と考えられています。

また、西洋医学での薬の効きも悪く(注2)東洋医学系の"治癒力、循環を良くする、自律神経を安定させる” などの施術では少し症状が改善するだけで根本的な部分には全く手が届かないという事も痛感させられました。

そして、ほぼ同時期に統合失調症の患者さんも経験する事になります。

もともと、私の施術では、統合失調症は禁忌として明記してあるのですが、患者さんが禁忌の意味を知らずに来院しました。統合失調症を血流を良くするという発想の施術で解決するのは無理がある、という旨の説明をしましたが、薬の副作用が辛いから多少でも楽になれば、という事で施術を開始しました。この患者さんも、薬の副作用は楽になりましたが、後に再発することになります。

もともと正常だった人のうつ病(厳密にはほとんどが"うつ状態"に陥っているケース)は東洋医学的な施術で改善する事も可能ですが、人格障害、統合失調症などの異常性(少し言葉がきつくなってしまいますが)、自己破壊性の高い疾患は全く太刀打ちできないという事もはっきりとわかってきました。

この種の病気の施術からは手を引こう、と、半ば諦めていたのですが、人格障害で来院していた10代の女性だけが、様々な症状を繰り返しながらも1人だけ根本改善し、数年の時間をかけて日常生活ができるようになって
いきました。(注3)

なぜ1人だけ根本改善したのか?という事も引っかかっていましたが、2006年の正月に笠原氏の著書、"なぜあの人は懲りないのか 困らないのか -日常生活の精神病理学-"を偶然本屋で見つけ、心理療法の勉強をしていくうちに、なぜ改善したのかという疑問が溶けていく事になります。

そして、統合失調症、人格障害などに根本的な治療法が存在しているということを知ったのです。

(続く)

注1:私は医師ではないので細かい診断はしません。あくまで、施術をしても大丈夫か、という点で患者さんに診断名を聞きます。

注2:薬が効く効かない以前に「医師の言うとおりに飲む」のが難しいという問題があります。(全く飲まない、気分で飲む飲まないを決める、あるいは自殺未遂として大量に飲む、など)

注3:2008年の時点で通常に仕事ができるようになるまで改善した事を確認しています。但し、本人は"完全には治っていない”という旨の事を言っているため、日常生活は普通にできるようになったが、完治はしていないと考えています。(たまに軽い神経症症状が出るようです)

文:ファミリー矯正院 心理療法室 / 渡辺 俊介


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