私の懺悔

今、私が口に出した言葉は本当に伝えたい事だったのか。
今、私が自分を傷つけたことは、本当の問題解決に繋がるのだろうか。
毎日増えていく傷、増やしたくないのに脳は生きている事を実感したいが為にそれをやらせる。

今こうやって悩んでいることも正しいのだろうか。
私の気持ちが分からない。
私の存在意義が分からない。
地面に足が着いているのか、浮いているのかわからない。
ただ、ぼんやりと息を吸って吐いている。
人間であるが為に。

仕事に就きたいのに、
「行けなくなる怖さ」「迷惑をかける怖さ」
があって、どうしたらいいのかわからない。
「誰でも最初は怖いけど、心配しすぎだよ」
なんて当人以外が言っちゃいけない。
冗談じゃない。
その1歩が踏み出せますように、と死にものぐるいで願っている。

太陽が怖い。
空気が怖い。
朝が来て夜がくる、この自然の摂理が恐ろしくて堪らない。それでもいきなければならない。
私の分まで生きたかった誰かの為に。
人の気持ちは分からないのに、その人の機嫌は空気に混ざって、私の脳みそと肺の中に充満する。
多分自分は「どこかおかしい奴」。
この言葉が頭から離れない。

入院すべきなのか、今の生活を続けるべきなのか
答えがない毎日が怖い。
何が正しいのか。私という人間がいつ終わるのか
漠然とした何かを抱えて生きている。
漠然と生きている事が何よりも怖い。
自分が常に誰かを傷付けているような、
気がしてしまう。

多分そんなことは無いんだろうけど。

振り返れば私は不完全家族というものの中で
育ってきたのかもしれない。
そして今も生活しているのかもしれない。
姉と兄とは産まれた時から一緒に暮らしていない。
後妻である私の母と暮らす事を祖母は良しとしなかった。
そのせいか、喧嘩をしたことがない。
お互いを家族だと認識したのは何時までだったかも覚えていない。
姉のことも兄のことも
年の離れた、たまに来る実習生のような感覚だった。
1週間に1回だけ、私達は祖母の家でご飯を食べていた。
2~3時間の時間が兄弟が揃う時間。
それが、今は家族になりたがっている。
家族と認識したがっている。
私の一方通行の家族欲。

お金の余裕は、心の余裕、と言うけれど
不安定な収入は、心も不安定にするのだろう。
でも心を削ってなんの為に働けばいいのか、
私の存在意義を失っている今、わからない。
みんな生活のため、子供の保育園代を稼ぐため、
何か目的を持って生きている。
私は何の目的を持てばいいのだろうか。
家族へのお金を貸すためだろうか。
馬鹿馬鹿しい。

出来ることなら
ハンドメイド作家として生きていきたい。
でも、簡単な事じゃない。
ブランディング、広告、仕入。
今はマイナスの生活だ。

ここ数週間、トリートメントをしていない。
本当はお風呂に入る事もかなり辛い。
でも、髪の毛を数日洗えない、という状況が続いてしまうと、家族から「クサイバイキン」と指をさして笑われる。
私という物体は人間が嫌いなのに、ばい菌になるのは嫌いなのだ。

大きな1歩じゃなくていい。
小さな1歩でいいんだ。
歩み出せればいいのに。
足はある。
私には勇気と自信がこれっぽっちもない。

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