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お菓子屋になるまで。〜学生編①〜

こんにちは。
Famille店主の日下由美です。前回の記事も読んでくださった方が多く、文章を書く楽しさを改めて感じている私です。

今回は前回の続き、中学生になった頃から振り返っていきたいと思います。
どうぞよろしくお付き合いください🎵

運動も勉強もそこそこで、友だちとも楽しく過ごせていた小学校時代でしたが…。
中学生というと思春期特有のいじめをする子が出てきたり、先輩後輩の関係が出てきたり、高校受験が控えていたりと不安定な時期ですよね。
私もその例に漏れず、今思い返しても中学生時代には戻りたくないと思うほどとても嫌な思い出の多い時期でした。

部活動は吹奏楽部に入り、アルトサックス🎷を吹いていました。
前回の記事では触れませんでしたが、小学4年生から器楽部に入り音楽の楽しさを知ったことから、中学校でも迷わずその道に進みました。

この頃は、朝練のため7時半頃から学校へ行き、授業を受けて放課後はまた部活。夕方外が薄暗くなる頃帰宅するという生活パターン。土日も部活に行く事があったため、お菓子作りをする時間も少し減っていった時期です。

部活は楽しかったけれど、勉強はあまり好きではなくなり、音楽や美術、家庭科などの科目以外は楽しめず、友だちともあまり楽しく過ごせず、昼休みは図書室に行って黙々と本を読む時間が増えていったように思います。

そして、中学3年になると避けられない進路の事を考える時期になり、この頃もお菓子作りは好きなのは変わらないけれど…好きな事を仕事に出来るとは思えず、将来はパティシエになるぞ!とはなりませんでした。

中学3年のいつか…土曜日にあった総合的学習の時間に、市立図書館へ行き将来就きたい職業について調べる。という日が設けられました。

その日にたまたま手に取った職業紹介の図書が、“栄養士になるには”みたいな本で、食べる事が好きだった私はなんとなく『将来は栄養士になって働こう』と決め、高校も生活科学科に進むことにしました。
(自営業でもあまり収入が多くない家庭でしたので、もともとOLだった母は子どもには安定した職業に就いて欲しがっていたのも栄養士に決めた理由のひとつだったように思います。)

この頃はもう勉強が嫌いになっていたので、部屋にこもって受験勉強をするふりはしていたけれど、部屋でラジオを聴くのが楽しみになっていたような気がします。
夜10時頃から始まるラジアンリミテッドという番組にハマって聴いていた受験生でした 汗

そんな調子でしたが、志望した高校の生活科学科へ無事に合格し、晴れて女子高生になる事ができました!

中学まではみんな同じように国数理英社と普通科目を学びますが、この生活科学科では1日6時間のうち4時間は専門科目という時間割の日もザラに有り、好きな事をたっぷり学べる高校に入れてとても充実した3年間を送ることができました。

その高校では、調理と裁縫を重点的に学びました。
1年生の頃は、調理も裁縫も基礎的な事が大部分を占めましたが、2年生になると裁縫分野では自分の身体のサイズを測り、型紙を作るところから甚平を完成させられるように。
調理分野では、栄養素計算などをして年齢に合わせた献立を作り、それを調理するところまで学びました。

そして、3年生になると裁縫の和服分野では4時間で浴衣を縫い上げる、洋服分野では4時間ジャケットを完成させる一級検定。
調理分野では、時間内(詳しくは失念してしまいました)に主菜副菜汁物など作り上げる一級検定。
この科で学ぶ学生の集大成となる3つの検定の一級に合格でき、高校の3年間は楽しく沢山のことを学べた最高の時期でした。

これらの検定試験に打ち込む中でも、3年生になると次の進路を考えなくてはならない時期です。
私が通っていたのは専門科でしたので、就職希望者と進学希望者の割合は大体半々でした。

この頃の私はというと、中学の時に目指した栄養士という職業にそのまま何となくなるのかなーという気持ちでいたような気がします。

姉と兄が私立の大学に進学したこともあり、親からは直接言われた訳ではないけれど、私が私立の学校に進学するのは無理だろうなぁと子どもながらに考えていました。

それでも高校卒業してすぐ就職する勇気はなかったため、特別勉強が出来るわけではなかったけれど、授業料の面も考慮しつつ生活科学科のある鹿児島県立の短大を推薦で受験することに決めました。

…が、その学校の生活科学科の栄養士を目指す食物栄養専攻に行きたかったものの、同じクラスのかなり優秀な子がその科への推薦を希望しており、希望していた短大への推薦枠はひとつの高校から1人ずつしかなかった為、私は食物栄養専攻は諦め、生活科学専攻への受験をする事にしました。

このとき、他の大学で栄養士への道を目指しても良かったかもしれませんが、公立でそのような学校はなく、私立の学校への進学は無理でしので、なんとなく目指していた栄養士という職業への道は断ちました。

それでもこの受験に関しては、私のこれまでの人生の中で1、2に争うほど努力した時期となりました。

推薦試験の内容は、小論文と面接の2つでしたので、受験する事を決めた5月頃から国語の先生方に小論文の練習を毎週一題、添削してもらったり、面接の練習も放課後受け付けてくれる先生方に毎週のように指導してもらいました。

そして高校3年の12月、受験当日は小論文の予想外のお題にとても焦りましたが、なんとか書ききり、面接もまぁまぁの出来で、なんとか無事に志望した短大へ合格する事が出来ました。

いま振り返ってみても自分なりにやり切った高校生活です。
そして、2007年4月大学生活のスタート。次回は最後の学生生活となった短大時代のお話に入ります。

今回もお付き合いいただき有難うございました🎵

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