オタクになったきっかけと遍歴
お疲れ様です、ゆーがです。
いつもnoteをご覧いただき感謝しております。
毎度の事ながらXにてアンケート投票ありがとうございました!!
しかも今回は同票が起きるという事案が発生し2回にわたり…こんなことってあるんですね。
前回の記事が予想外にも様々ありがたいお言葉を頂けて逆にこっちが嬉しくなり泣きたくなってしまったのは後日譚です(笑)
今回のアンケートにより、決まった内容がそもそも自分のオタクライフはどこから始まったのか?という内容です。
しかし今回諸事情があり店名を伏せて公開する部分がございますのでその部分はご理解ください。
前回よりコメディに書いていきます。
(この段階ではそう思っている。)
ただし、特撮オタとジャニオタであることを公言しておりますがそこもお話すると幼少期から遡ることになる上にディープすぎる内容が出てきてしまうのでこちらは除外するのとお話するにあたり若干過去のお話が入りますので興味のある方だけご覧になって頂くことをおすすめします。
では、よろしくお願いします。
・結論から。
僕のオタク人生はおそらく中学校3年生の、受験が(色んな意味で)終わった後からになります。
ちなみに僕は高校受験に失敗してます。
原因は2つありました。
・遅れてやってきた反抗期
前の記事でも書いた通り、僕の父親はネグレクトだったため学生時代は両親がいましたが事実上の母子家庭でした。
中学生の時は記憶がある限りでも父親と会話した数は片手で数えても指が余るくらい。
母親からはちくちくとあれこれ言われ学校ではいじめられ逃げ道が無かったんですね。
(※あっ、ちなみに中学生の時は友達が少数いました。友達というか仲良しさん?みたいな)
限界を迎えてしまったのが中学3年生の後半、要は受験シーズンの追い込み時期ですね。
塾には行ってましたが適当に時間を過ごし家では勉強してるフリをしてました、ささやかな抵抗というやつ。
母親は結構厳しかったので周りがケータイを持ってても自分は持たせて貰えず、パソコンを預けられてました。
死語だと思いますが勉強してるフリをした後はネットサーフィンをして過ごして現実から逃げる毎日を過ごします。
そんな中で僕はあるものと出会います。
それがもう一つの理由になる訳です。
・オンラインゲームに感動する
僕の世代は複数人でゲームをする時、家に集まってするのがお決まりでした。
モンハン、スマブラ、マリオパーティとか…
そんな中でパソコンで「オンラインゲーム」たるものを見つけます。
なんだそりゃ?となんの知識もなかった僕は思う訳です。
確かやってたのはREDSTONEとメイプルストーリー。
ググッたらまだサイトあった…
要は全く知らない人達と協力して行うMMORPGです。
特にお金も基本プレイはかからないのでインストールしてプレイします。
自分は全く強くありませんでしたが正直感動しました。
知らない人とコミュニケーションが取れて、尚且つ一緒に遊べる。
天国か?と若かりし頃の僕は思いました(笑)
それから僕は受験勉強を放り出してオンラインゲームの世界にどっぷりハマりだします。
・当然の結果である。
公立高校受験前日。
何してたって?受験勉強のフリとオンラインゲーム。
ちなみに高校は私立を2校、公立高校を1校受けることが出来たので私立は学ランが有名な某男子校と名ばかりな自称進学校の工業高校、公立は自分の地元から1番近いという理由だけでとある普通科の高校を選びます。
ちなみに某男子校は落ちた、当たり前だ。
工業高校は何故か受かった…あれ何でなんでしょう、最後の方面倒くさくて鉛筆転がしてたんですけど。
ちなみに志望は公立高校でした、学費の関係が大きかったんだけれども。
あと学校が近ければ早く帰って来れてゲームができるからというしょうもない理由でしたね。
どうせ受かるっしょ!と、思ってたが吉日。
落ちました!!!!!
これで受かってたらライトノベルの主人公もびっくりですよね(笑)
私立には行かせられないと母親から言われてたにもかかわらずこれです、今思えば相当な親不孝でした。
・魔の書物を開いてしまった
母親との家族会議ののち、僕は私立の上記した工業高校に進学することが決まります。
今思えばどうやって学費払ったんだろうか…怖くて聞けない。
卒業式も終わり、中学生最後の春休みが始まります。
あ、お話脱線しますがオンラインゲームはこの時やめた。
なんか嫌になってしまって。
ある日、仲が良かった当時の友人が僕の家に紙袋を持って来ます。
「これ、面白いから読んでよ!」
ハヤテのごとく!という少年漫画を数巻僕に託します。
正直あまり興味はありませんでしたが春休みでやることも無かったので読んでみることに。
面白かった事だけは覚えてますが、この時はただそれだけでした。
そう、この時までは…
僕をオタクの道に招待したのは正しくこの友人です。
・入学する高校を間違えたと悟る
なんの前情報もなくただここだけしか受からなかったという理由だけで入った高校。
正直入学当時は遠い、坂多すぎ、もう1つ後述する理由があって好きになれませんでした。
僕は入学前まで夢を見ていました。
学園系恋愛ドラマなども頻繁に見ていた僕は勝手に、
高校生になったら彼女が出来る、というか作る
という思春期大爆発な予定を立てます。
正しくは妄想します。
今じゃ考えられないんですが僕にも一応こんな時代はありました(笑)
…だけどそんな予定はクラス分けの段階で崩壊することになります。
クラス分け表?みたいなものを見た僕は早速自分の名前を探します。
1年9組か、ふむふむ。
余談ですが僕の代のこの高校最終的に12クラスになります。
それと同時に女の子の名前を探します。
探します…
探し…ま…ゑ?
野郎の名前ばっかりじゃねぇか。
いや、でもほらキラキラネームとかあったし男みたいな名前だけど女の子ってことがあるかもしれないからね!
と夢を捨てずに教室へ。
結論、絶望した。
男しかいない、嘘だろ?!
見渡す限り暑苦しい面々。
中学生の時にいた女の子がいない。
僕は入る高校を間違えたと悟ります。
ちなみに女の子はおそらく学年で10人いるかどうかという少なさだったことを後で知ることに。
しかも僕のいた1年生のクラスは野球部や空手部、レスリング部在籍の生徒が多かったためゴリラ軍団と呼ばれるクラスでした、シンプルに悪口やん。
・ワンダーランドを見つけた。
上述したハヤテのごとくを読み終えた僕は、この当時アニメ化もしていたのでそれを見始めます。
徐々にアニメにハマって行くわけですね。
その後僕にこの間の書物を託した友人が今度は悪魔の(以下略)を教えてきます。
涼宮ハルヒの憂鬱。
僕のオタクライフはアニメオタクからスタートします。
・2次元に恋をした。
どっぷりアニメの面白さを知ってしまった僕はアニメオタク街道をアクセル全開で突き進みます。
この当時バンドもやっていたんですが、メンバーもアニオタがほとんどで練習しながらあのアニメ見た?このキャラが可愛いという話題で持ちきりになります。
ちなみにこの当時初恋をしたりという事もありましたがバンドをやりだした理由と共に今回触れないでおきますね。
そのうち記事にしようかな〜とは思ってます。
おい音楽やれよ
・運命の子に出会ってしまう
そんな中でけいおん!というアニメと出会い、中野梓ちゃんという子の事を僕は本気で好きになってしまいます。
正直、毎日が楽しかった。
バンドメンバーやクラスメイトがみんな彼女が出来て青春してる中、僕は2次元での青春を楽しみます。
通学用のカバンにはあずにゃんグッズをこれでもかと言わんばかりにつけて(今で言うあれです、重装備のヤツ。)登校。
帰りはアニメイトによってグッズを買い漁り、家に帰ってきたらけいおん!を見る毎日。
あぁああずにゃん可愛いいぃいいい。
結論、彼女要らなくね?ってなり二次元の女の子にしか興味が無くなりました。
・まさかの理由で大学受験に成功
何だこの高校は( ゚д゚)、ペッ
となってたのも入学式の時だけになるわけで、ぶっちゃけこの高校に入って良かったと心の底思ってました。
(※理由全く関係ないじゃんというツッコミ待ってます)
自慢になってしまうかもしれませんが、アニメオタクになってから僕の成績は中学時代より倍以上良くなりました。
詳しい理由は分かりませんが、多分愛の力です(ごめんなさい。)
あ、ただ社会科だけは絶対許さん。
まぁ〜でも高校の3年間ってビビるくらい早送りなんですよねー…
あっという間に第2回目の受験シーズンに差し掛かります。
僕の通っていた高校は姉妹校の大学があり、評定が一定値あればエスカレーター方式でその大学に進学することも可能でした。
その分辞めてしまう生徒も多いみたいですが…
僕は評定が足りていたのでその大学に指定校推薦(面接だけ)で行けることが確定します。
それから受験勉強ではなく面接練習が始まります、要は志望動機を言うあれです。
僕はもう自分の中で進路は決めてました。
その大学は文系理系と別れていたんですが、理系の方で情報関係(プログラミングとか)の学部を選びます。
担任の先生ともう1人対策してくれる先生と面接の練習をする訳ですね。
だけど問題が起きます。
等の先生方は僕の志望動機にめっきり反対の意を示します、そんな理由じゃダメだよ、他の理由はないの?と。
ありません!と頑なに僕は自分の意見を曲げませんでした。
あれこれ口論を繰り広げ最終的に僕は、この理由で受けさせて貰えないなら指定校推薦を降りるというところまで宣言します。
ちなみにこれは先生方もなるべく避けたいヤツらしく。
自称進学校は進学率を上げたいので1人でも多く進学させたいわけですからね。
指定校推薦の面接当日。
やはり聞かれる、「この学部を志望した理由は?」
僕の中ではもう決まってます。
私は三次元に嫌気がさしてしまったので自分の世界と彼女を二次元で作りたいと志しているんですが、そのためにはこの学部へ進学しプログラミングやパソコンの知識を一貫して学べるこの学部へ進学することが一番の近道だと確信しこの大学を志望しました。
若干緊張してたので当時噛んでます、多分。
ちなみに面接担当の教授2人は若干引いてました。
でも嘘偽りない進学理由がこれしか無かったので後悔はしてません。
その後あれこれ聞かれましたが内容とは関係ないので省略しますね。
後日、結果。
受かった。
僕はアニメオタクになってそれを継続してたおかげで大学入試に大勝利しました。
・人生で初めての秋葉原へ
受験も終わったので(指定校推薦推薦の場合9月に面接があるため)母親と東京へ旅行に行くことになります。
僕はもう行きたい場所が決まってました。
オタクの聖地、秋葉原。
母親は浅草や巣鴨、新橋に行きたいとの事だったので仲も良かったこともあり一緒に行動することに。
乗り物が好きな僕と母親は水上バスや山手線、ゆりかもめに乗って東京に浸ります。
そして行きたすぎた秋葉原。
控えめに言って楽しすぎた。
なんだここは、どこぞの夢の国よりよっぽど夢の国だ。
それが初めて行った時の感想でした。
アリス九號というV系バンドのドラムのNaoさんが、秋葉原は歩いているだけで心がもきゅもきゅするとテレビ番組で言っていましたがまさしくその通りで。
ただ僕は秋葉原に行ったら行きたいところがありました。
メイド喫茶。
当時メディアでも取り上げられることが多かったので是非一度行ってみたかったんですね。
明らかに3次元じゃねぇかというツッコミはなしで(笑)
仙台には当時メイド喫茶が無かった(正しくはあったけど人気がなくて無くなった?)ので仙台のオタク界隈の1部ではメイド喫茶に行くことがステータスな時代があったりしました。
だけど田舎から出てきた高校生はメイド喫茶がどこにあるのかもわからず、聞ける人もおらず。
母親はオタクじゃないので完全に付き添いでした。
秋葉原駅を降りて直進すると交番があったのですかさず入って、
すいません、メイド喫茶に行きたいんですがどこにありますか?
と市民の平和を守るお巡りさんに聞くという珍事を犯します。
当時のお巡りさんごめん、マジで行きたかったんだ。
お巡りさんも困惑し出して数人集まって地図帳?を開き始めます。
そしてまさかの身分証の提示を求められます、どうやら日本に観光に来ている中国人に間違えられたらしい。
あれこれお話しましたが結果としてかなりの店舗数があるため案内できないと言う結果になり交番を後にします。
少し歩くうちにAKB劇場のある通りに出ます。
僕の中では通称メイド喫茶通りと呼んでいます。
そこを母親と歩いているとメイドさんがキャッチを行ってました。
どうですかー?!(店名)です!
人生で初めてメイドさんからそのお店のチラシを貰った瞬間でした。
心が滾りました。
色々お店のことを聞いて入ることにします。
だがしかし問題が発生します、母親です。
ここで別れる訳にもホテルのチェックインもしていなかっためできず母親と一緒にメイド喫茶にご帰宅することになります。
※ご帰宅→メイド喫茶に行くことの総称、今は違うかもしれない。
実に滑稽だったことでしょう。
ゴリゴリのメイド喫茶に行きなれた人たちの中に家族連れが1組来店していたので(笑)
でもなんだかんだ楽しかったです、母親が見てる中でのチェキ撮影は緊張しましたが…
ちなみにワクワクしすぎて連泊での旅行だったんですが2日目も同じ店に行きました。
マジで楽しすぎた、その当時良くしてくれたメイドさんはもういませんが本当にありがとうございました。
当時17歳の僕にワクワクをくれたのは秋葉原の某メイド喫茶だった訳です。
これが、僕が人生で初めてコンカフェに行った瞬間でした。
・でもやっぱ試練ってあるよね。
そして無事、僕は進路も決まった状態で高校を卒業します。
人生の中で1位2位を争うくらい高校生活は楽しいものでした。
大学に入ったらたくさん勉強して自分の世界と彼女を作るんだと意気込みます。(両方プログラミングで)
…そんな訳にはいかなくなってしまいます。
東日本大震災。
きっと僕の中の試練のひとつにこれは絶対入るでしょう。
思い出したくない方がいらっしゃったらごめんなさい。
家族もこの時いた友人も全員無事でしたが大学の入学式が無くなりました。
母親と一緒に見に行って買ったスーツも着る日が遠のいてしまいます。
震災をきっかけに僕のやる気までもが流れていったことをこの時僕は気づいていませんでした。
・大学1年生、というより高校4年生
入学式もなく急に始まった大学生活。
全く大学生になった自覚がなく高校の延長線のような感覚、オリエンテーションを終えて高校との違いをたくさん思い知らされます。
高校とは違い膨大な授業数。
工学部だったので数学だけで3〜4種類、専門科目がもはや日本語に聞こえない。
実はプログラミングを学びたかった僕は数学が苦手なことをすっかり忘れていたことに入学してから気づいてしまいます。
もっと言うと英語しか出来なかったため高校の時の成績の大半は英語で救われていました。
そんな英語の講義は週に一回…
終わった。
悟ります。
というか諦めます、落単しないよう心がけますがやはり落とすところは落としてしまい。
大袈裟な表現ですが夢のためだけに進路を決めた報いを後に受けることになります。
・ポケモンマスターという名のポケモン廃人になる
大学生になって友達ができた僕はその人たちの影響を受けてポケモンにどっぷりハマります、カードじゃなくてゲームの方。
元々幼少期からやってはいましたが育成などはしておらず殿堂入りしたら終わり!って感じでした。
ところがポケモンは殿堂入りしてからが始まりだと友人から知らされます。
育成、乱数、遺伝技、対戦、育成論考察。
熱い、熱いぞ!!!
僕にとってはある意味大学に行く理由にもなったのでいい薬だったかもしれません。
講義を受けて、昼休みと空きコマにポケモン。
バイトが終わって家に帰ったらまたポケモン、気づけばプレイ時間がカウントしなくなるほどやってました。
自分の世界と彼女を作ると志していたいちオタクがポケモン廃人になっていくわけです。
・ついに夢は潰える。
大学3年になる年、僕は早生まれなので成人した年。
学費が払えなくなり大学を辞めることになります。
詳しい理由は今回の内容と関係ないので伏せますね。
学びたかったプログラミングもロクに学べず、僕は大学を去ることになりました。
(※僕が通っていた大学は3年生から研究室配属となり、そこで自分の興味のある分野を研究して最終的に卒業論文を提出し学位取得という流れです。もしかしたら今は違うかもしれない。)
そんな時でも僕の支えだったのはやはりアニメや通称2次元の嫁、もはやこれも死語かもしれない。
あとポケモン、好きなポケモンを育成してオンラインに潜って実戦してました。
・フリーターという人生の夏休みを手に入れた
悪いことだらけではなく。
僕は車の免許の取得と仕事を探す事になります、ちなみにアルバイトは高校三年生の時からしていたところを継続していたので多少の稼ぎはありました。
母親には迷惑をかけてましたが…実はこの時から僕はある自由を手に入れたので羽を伸ばします。
就活においても毎日動いてた訳では無いので就活しながら上述したアニメイトに行ったりその時流行っていたアニメを見漁り、夜はポケモンに没頭する毎日。
だけどある日気づいてしまいます。
自分の目標が無いことに。
やりたいことが無かったんですね。
そんな僕はアルバイトの稼ぎを利用して高校3年生の時に行ったメイド喫茶が楽しかったので仙台から通い始める月日が始まります。
ちなみに長続きはしませんでした。
東京とはいえ遠いのと、金銭面の問題で。
そんな時、ある情報が入ります。
・仙台にメイド喫茶ができるらしい?!
2014年12月中旬か末くらいだったはず。
仙台にメイド喫茶ができるとの情報を目にします。
特にこの当時の僕には「推し」という概念がなく言わばキャストさん目的というよりお店の雰囲気が好きで行ってたんですね。
・初めて推しと言う存在ができる。
就活も終わりそうだったこともあり、年明けに仙台にオープンしたメイド喫茶に足を運びます。
正直、秋葉原のメイド喫茶に行き慣れていたところはありましたがそれとは別の楽しさがありました。
バイトして、就活で企業と面接、休みの日はメイド喫茶に行く日々。
今思うと大変だったけど充実してましたね。
いつの間にかあれだけ観ていたアニメにも興味を示さなくなったのは実際の人とお話出来る機会が増えてきたからだったのかもしれない。
なんかいか通っているうちに、そのお店に新人として入った子と仲良くなります。
話したりするうちに僕はその子を推しと言う存在として認識するようになってました。
というか別のキャストの方にそれは推しでしょ!と言われ気づくことになります。
(ぶっちゃけ推しという言葉を知らなかったのは内緒である。)
それから僕はお店の雰囲気を楽しむ為ではなく推しの子に会うためにお店に通うことになります。
ちなみにこのくらいの時期に無事就職も決まりました。
・お待たせしました、やっとスタート地点です。
僕はオタクとして最大の禁忌(※誇張表現)を犯します。
推し変。
その子のことが嫌いになった訳じゃないけど、僕は同店舗の別の子に推し変しました。
何が理由だったのかは自分でもよくわからないところはあるけどきっとお砂糖ばかりで飽き飽きしていたのかもしれない。
…その後のお話は割愛しますね。
多分この1件があって、推し変に関する考え方が変わったんだと思います。
僕はこのお店で仲良くなったあるお客さんに別のお店に連れて行ってもらえることになり…それが以前の記事でも少しでてきた「2ねん8くみ仙台」でした。
この時、気づいてませんでしたが僕はこの時アイドルオタクになるスタート地点に立ったわけです。
・終わりに。
まずは謝らせてください。
少し湿っぽい話が入ってしまったことを。
アニオタから始まり、コンカフェオタクになってポケモン廃人やって今はアイドルオタク。
特撮とジャニーズ、文房具、お酒も含めたら5〜6足くらいの草鞋を履いてることになるんですね(笑)
なんだかんだアニオタやってた時もコンカフェに入り浸ってた時も楽しかったと思ってますしポケモンは今でも好きですし全ては今の布石だったと考えればエモいものがあるなぁと。
ちゃんとアイドルオタクが出来てるかはわからないけど、もう少しオタクライフを楽しもうと思います!
長文失礼しました。
次回は僕の推しであるTan.San.Sui.のきこちゃんへの愛を熱く語って行きます!!!
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