嫌なことをしないで生きていくのは科学的に正しい

嫌なことをやらないで生きていくって生き方は行動経済学的に考えると合理的なんだよね。

何でかって言うと、嫌なことをやって嫌な思いをしたとする。それを埋め合わせようとすると、その四倍ぐらい「楽しいこと」をしないといけないんだよね。

で、「楽しいこと」をするのってまお金やらなんやらかかるじゃん。

その「楽しいこと」を純粋に楽しみたいだけだったらいいんだけど、嫌なことを埋め合わせるためだけにやったものだと仮定すると、すごいもったいない気がしてこない?

だって嫌なこと一個をやらなければ楽しいことを別に無理やりしなくてもよかったわけじゃんか。

嫌なことをして、収入が高いパターン。

嫌なことをしないで収入が低いパターン。

どっちの方が合理的かっていうと、シンプルに計算すればわかりやすいと思うんだよね。

嫌なことを打ち消すために四倍楽しいことをしないといけないと仮定すると、

年収1000万円で嫌なことが200あるとする。すると楽しいことを800しないといけない。楽しいこと1つあたりにかかるお金が1万円だと仮定すると年収1000万円を稼ぐために、経費として800万円かかっている状態になる。

っていう計算だと、年収200万円で嫌なことが0なのと主観的な幸福度は変わらないことになる。

もちろん、嫌なことが100で年収が1000万円だったら、1000-100×4で600万円になるから、年収200万円で嫌なこと0より合理的っていうことになるけど。

つまり、嫌な思いをしてまでお金を稼ごうとすればするほど、実は損してるっていうこと。

嫌なことを減らせば、シンプルに幸福度は高まりやすい。

あと、お金から得られる幸福度っていうのは結構限界があって、貯金1億円以上あと年収1200万円以上になると頭打ちで、お金から得られる幸福度っていうのはなくなっちゃうんですよね。

っていうのを考えると、それ以上に稼いでる人はやりたくないことをやらないっていう方にシフトした方がはるかに合理的なんですよね。

それでも、もっともっと稼ぎたいってなる人はいると思います。

なんでかっていうと、これは大きく二つ。「欲望」と「他人との比較」。これによってもっと稼がなきゃって気分になると思うんですよ。

一つ目。

「欲望」っていうのはある程度の水準を満たしてしまったら更にもっともっと上を目指したいっていうまあシンプルな人間の性質ですよね。

もう一つ。

「他人との比較」っていうのは、周りの人が自分より稼いでいたら、何かこう不安を覚えるわけですよ。

人間は他人との比較によって不安を覚える。で、その不安を解消したいがゆえにもっともっと稼ぎたいっていう思考になるんだけれど、冷静に考えたらもうそれ以上稼いだとしても、幸せになれるわけではないと。

それにもかかわらず稼ごうとしちゃう。まあシンプルに環境の問題ですよね。

そういった人間の脳に備わっているバグに踊らされることなく、科学的な知見やデータをもとに、自分のおかれている状況を客観的にみることができれば、もっと幸せに生きられる人が増えるんだろうなと思います。

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