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音楽が世界の共通言語ではないということについて②

音楽学大学院生の週一アウトプット*29


今回は前回のアウトプットの続きをしようと思う。前回のアウトプットがこちら↓

前回は、「音楽は世界共通言語」という主張についてざっと確認した。言語と音楽はよく似たものとして比較される。それで、音楽は言語よりも確実にグローバル化の波に飲まれた部分が大きい。エド・シーランの音楽は、世界中で小さなスマホを通して、またはお店のBGMとして多くの人の耳に入っている。popsを聴かない人もいるが、国を跨いで多くの人の日常に浸透している。日本人の間でも、ある洋楽が人気になってから、その歌詞の意味を知ったりする場合も少なくない。

一方で、言語では英語がグローバルな言語になりつつあるようだが、人々には必ず母国語というものがあり、言語圏というものは無くならない。さらに、両者の目的からして、音楽の方が異国間でコミュニケーションが比較的にとりやすいようにも思える。要するに、

言語は学ばなくては理解できないが、音楽は理解できる。

ということだろうか。では、ここでいう、「理解」とは何を指すのだろうか。

言語を理解する、ということは、その意味を、その言わんとすることを捉えるということであり、理解すると言語でのコミュニケーションが可能になる。一方、音楽を理解する、とは多くの解釈が存在するように思える。例えば、その音楽の構造を理解する、音楽理論を知る、その音楽を演奏できるようになる、音楽を聴いて楽しめる、音楽にノれる、などなど。音楽の理解とは存外曖昧なものだ。英語では「解釈」="interpretation"という単語は「演奏」も意味する。はて、どこがどう繋がっているのか。

私は、この曖昧さこそが、「音楽は世界共通言語」という考えを引き起こしていると考えいる。それでは、音楽の理解を言語の理解と同じように定義してみるとどうなるだろうか。

それについてまた次回。

FALL

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