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音楽が世界の共通言語ではないということについて①

音楽学大学院生の週一アウトプット*28


「音楽が世界の共通言語ではない」これは、音楽の多様性を提示している文句でもある。このことについて真面目に語るにはあまりにもこのアウトプットには荷が重すぎるので、何回かに分けて書いてみようと思った。そのため、今回①というナンバリングをした。

対して「音楽は世界共通言語」と言われることもしばしばある。私自身は音楽学を勉強してきたがゆえ、「世界共通言語ではない」という方の言説ばかりを目にしてきたのだが、世の中で行われている音楽フェスの広告などをふと見てみると、「音楽は国境を超える」だとか「音楽は世界の公用語」だとか、そういった内容が目につく。

ここで私自身の立場をはっきりさせておくと、私は音楽は世界の共通言語にはなり得ないと思ってる。その理由はいくつかある。しかし、それを説明しようとすると、何だかうまくいかない。

とりあえず、まずは「音楽は世界共通言語」とはどういう主張なのか、平たくここに言語化おこうと思う。

「世界共通言語」というものは今のところ存在しない。世界には無数の国の人々がそれぞれの文化圏の中で使われている言語で生活している。無論、アウトサイダーはその文化圏の言語を理解できないし、コミュニケーションも取ることができない。長い時間をかけて言語習得をしても、「母国語」のように喋ることができるようになることは相当難しい。そのくらい、言語によって作られた文化圏の隔たりというものは大きい。そして、言語はコミュニケーションを取ることを目的としたある一定のコミュニティで使用される共通認識の構造である(構造記号論の考え方に少しよっていますね…)ので、その指し示す内容が理解できない人にとってそれは何の意味もなさない。

それに対して、音楽は言語を伴うこともあれば、そうでないこともある。そして、音楽はその状況に応じていろいろな目的があるが、楽しむための音楽というものが現代において主流ある。その音楽において、外国人が他国のそれを聴き、その国の言葉や文化を知らなくても良いと思える可能性を高く秘めている。

他にも、「クラシック音楽の標準化」や「商業的ポピュラー音楽」「ネット上の音楽消費」など様々な要因がある。

何だか街中でよく見かけるような「音楽は世界共通言語」という文言について、なんとなくその指し示さんとする内容はわかっていたつもりだったが、いざ言語化してみると意外と複雑である。ここでいう「音楽」が暗に何の音楽を示しているのか。「音楽と言語の関係性」etc…手をつけると取り返しがつかなくなりそうな内容である。

今、私はそこに手をつけてしまったことを少し後悔しているが、アウトプットのテーマにはちょうど良いのでまた続きを別日に更新するつもりだ。ではまた。

FALL

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