『りんだうとなでしこ』の舞台を訪ねる(後編) <福島・飯坂温泉旅行記 その3>
単行本の『竜胆と撫子』(『鏡花全集 巻21』収録)では、その後三葉子は成長してお茶の水の女学校生になり、東京の美術学校へ通う雛吉の半生の物語が語られ、物語の舞台は一旦、東京に移ります、が・・・そこで事件が。三葉子はあわや暴漢に襲われかけ、雛吉は見世物小屋の蛇遣いの女(飛天夜叉)に酷い目に遭わされ自殺を考える身に。
そして運命の糸に導かれるように、二人は飯坂温泉へ。毛利先生に瓜ふたつな雛吉は、仙光院の和尚や居候先の花屋のお媼さんが仲を取り持ち、三葉子の養父・養母にも受け入れられて、公認の間柄になりますが、仲睦まじい二人の間を割くべく、二つの黒い影が現れ・・・(一人は三葉子の義理の兄、一人は先の事件の暴漢)。
この後編では、未定稿の『竜胆と撫子 続編』(『鏡花全集 巻28』収録)に登場する重要な場所と、物語全体で印象的なモチーフについて考察します。
<紫の旗>
<桐山の御堂(紫研殿)>
雛吉は制作(ご本尊を刻む)のために、仙光院の裏の岳にあるお堂に移り住み、そこを紫研殿(しけんでん)と名付けます。さて、お寺近くに丘らしき場所は・・・? 地図には少し離れたところに舘の山公園という、お城跡の山がありますし、ふもとに花ももの里という桃園もあります(しかし2007年オープンなので、桃園は最近出来たもの)。こちらは次の章に登場する「農學士なにがしが営んだといふ、花畑の養香園」(しばらくして三葉子の義兄・謙吉が移り住む)に相応しそうです。
物語ではお寺のすぐ裏のような印象なので、少し遠い気がしますが、そこはフィクションということでしょうか。
また、八幡神社のそばにも、「八幡緑地」という坂の上の公園を見つけました。距離は近いので、こっちのほうが可能性はあるかも・・・? 今は東屋にベンチがあるだけですが、昔は花桐の木々や庵があったのかもしれません。
今回の旅で訪ねることができた、『竜胆と撫子』の舞台と思しき場所はここまで。あとは温泉街の古き良き雰囲気を楽しみつつ、物語のいくつかの場面を思い出して想像しながら巡りました。豊かな自然の景色がとても綺麗で、この眺めが小説家の想像力を掻き立てたんだろうなぁと思います。
この作品も研究が進んで、モデルになった場所や人物、伝承などがもっと詳しくわかるようになれば、と思います。(紅葉先生の『金色夜叉』のように、ラストの腹案だけでも見つかればいいのに!) 泉鏡花記念館さんでも、いつか特集展示があればいいなぁと願いつつ・・・。
<菖蒲、桑の実、弁財天、糸>
ここからは、物語にたびたび登場するモチーフについて考察。
<1. 菖蒲(あやめ)>
冒頭の毛利先生が三葉子と出会う場面でも、象徴的に描かれている菖蒲の花。時期ではなかったためか、実際に町で見かけることはなかったのですが、当時は田んぼも多かったようなので、たくさん咲いていたのかも知れません。
毛利先生のモデルは、描かれた特徴から、鏡花と親しい作家や画家たちとの飲み会グループ九九九会にも参加していた、日本洋画の大御所、岡田三郎助だと思われますが、岡田といえば『あやめの衣(きもの)』。着物の細かいディティールもさることながら、女性の黒髪の美しさや、きめ細やかな白い肌の表現にも惹かれます。前編に引用した「女性の天稟の優しさ〜」といったくだりからは、岡田が得意としていた美人画のイメージが感じられます。
また、雛吉に付き纏う蛇遣いの女も黒川菖蒲(あやめ)と言う名前で、蠱惑的な美女のイメージにも使われています。
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8/19 追記:紀行文『飯坂ゆき』には菖蒲・杜若(かきつばた)を女性の後ろ姿になぞらえた記述がありました。
<2. 桑畑・桑の実>
赤川橋のあたり一面に広がっていたという桑畑。物語では実家の旅館・銀山閣の所有の畑、ということで、三葉子はいつも心やすく過ごし、実を摘んで食べているようです。一方、雛吉は桑の実は大好物だけど、木から取って食べるのを恐れ多く感じています。そんな雛吉に桑の実を取って授ける三葉子。どこか西洋の物語の雰囲気もある、ロマンチックな場面。赤い桑の実が笑う唇のように表現されていたり、三葉子の前髪に絡んだ桑の実を取ってあげるだけなのに雛吉は手が震えるほど緊張していたりと、いろいろ暗喩もありそうです。
桑の木=蚕のイメージがありますが、前編で紹介した湯野の鎮守・稲荷神社は、養蚕守護の神として信仰されていたそうで、「御幣を授ければ稲荷神が蛇を遣わし蚕棚を鼠害から護ってくれると信じられてきた」(飯坂史跡マップより)そうです。そういった伝承と、モチーフとが繋がっているのが面白いです。
ちなみに桑の実、私は木になっているものを見たことはなく、ジャムやドライフルーツは食べたことがあるのですが、なかなか美味しいです。ラズベリーのような酸っぱさはあまり無く、滋養がありそうな、こっくりとした甘さでした。三葉子の髪にくっついたのを雛吉が勘違いしたように、見た目は確かに毛虫っぽいんですが。。。
<3. 弁財天>
三葉子・雛吉はじめ、銀山閣の御新造、花屋のお媼(ばあ)さんなど、皆がお参りする仙光院の弁財天。黒川菖蒲も小さな弁財天の像を懐に持っているという設定です。飯坂には鎌倉の銭洗弁財天のように特に弁財天で有名な神社・お寺があるわけではなさそうなので、このモチーフがどこからやって来たのか疑問だったのですが、商売や芸事だけでなく川や水の守り神でもあるいうことで、納得しました。摺上川や温泉のイメージとも繋がっているんですね。あと、鏡花文学によく登場する、民間信仰との繋がりも興味深いです。
また、仙光院にやって来た東京の学校の先生が、生徒たちに「われらの弁財天は西洋の、(中略)希臘(ギリシャ)のアテナ女神、羅馬(ローマ)の、ミネルヴァ女神と、一列の位においでなさる、最高到美(ちび)、文芸の天女」と講義した、という周山和尚の台詞もあります。そして弁天様のおつかい姫=三葉子は、雛吉の芸術のミューズといったところでしょうか。
<4. 糸>
「運命の赤い糸」という表現がいつ頃からあるものなのか分かりませんが、大正の頃には普通に使われていたようで、この物語にも登場します。
花屋のお媼さんが巻いている糸(養蚕が盛んな土地なので、当時は糸つむぎも一般的だったと思われます)が、「其の絲が二人には真紅に見えた」という場面。他にももう一箇所、三葉子と雛吉の縁を表す表現として運命の糸のモチーフが使われていました。現代の目からするとややベタ過ぎる表現ですが、出雲大社の授与品にも、紅白の縁結びの糸というものがありますし、家事でもお裁縫が一般的だった頃は、ひと針ひと針の「糸」に思いを込めたりと、重要なイメージだったのではと思われます。
<まとめ>
今回の旅行のために『竜胆と撫子』を読み込んで感じたのは、飯坂温泉と周辺の地区について、観光や地図的情報だけでなく、土地の歴史や民間伝承などかなりリサーチして、書かれているということ。私も旅行記を書くにあたりネット等で色々と調べて、はたと気づくことが多かったです。思っている以上に重層的に練り上げられていて、やっぱり鏡花先生は凄いなぁと感じました。
『山海評判記』や『草迷宮』などと同じく、日本や中国に伝わる古典や怪奇物語を、登場人物に語らせたり、アレンジしてエピソードとして組み込んでいるような部分も多いですが、それが上記のような様々なモチーフと繋がっていたりして、謎解きの気分で探しながら読むのがとても楽しいです。また、飯坂を実際に旅して歩いて、物語が立体的に感じられるようになったのも、この旅の成果でした。(例えば風景画を見たときに、その場所に行ったことがあるからこそ伝わってくるものがあると思うのです) 旅や読書の楽しみ方として、参考にしていただければ幸いです。
物語の内容の深堀りや、魅力的な登場人物たちについては、いずれ感想文を書こうと思っています。
拙文・長文、お読みいただきどうもありがとうございました。
<終>