わたしの半生記 1〜中学生までの私

こんばんは。
砂野 遠(すなの とお)と申します。

早速、自分の半生を振り返る形で綴っていこうと思います。


突然の過呼吸発作

それは中学3年生の冬、高校受験を目前にした頃。

給食の時間になり、いつも通り手を洗いに友人たちと席を立とうとしたとき。

手足がしびれていることに気がつきました。

それまでの私は年に一度風邪を引くか引かないか、くらいの、
いたって健康体でした。

「あれ?なんか足がヘン…」

「どうしたんだよ。笑」

当時の彼氏と廊下を歩くも、壁に身体を預けて、
ゆっくり進むしかありませんでした。

だんだん呼吸が荒くなってきて、
昼休みは席について大人しくしていました。

友人や彼氏も大丈夫かと気にはしてくれましたが、
私も大したことではないと、そこまで深刻ではありませんでした。

昼休み明けの授業では呼吸の荒さがバレないように、
突っ伏して寝たふりをしているうちに発作は治まっていました。


それが毎日続くように…。

決まって昼休みの前くらいから発作は始まるので、
昼休み明けの授業中、ついに教師に見つかってしまったのです。

「親には言わないで」

保健室でそう懇願しましたが、もちろん叶うはずもなく。

私の親は、私が体調を崩すと、

「あんたが悪い。夜更かしなんかするから」

まず心配された記憶はありませんし、
なんなら怒られたとしか思っていませんでした。


病院へ

珍しく、今回の件は怒られませんでした。
ただ、心配もされなかったけど。

翌日、学校を休んで病院へ行きました。

呼吸器科に行きましたが、

学校のない土日は発作が出ないこと。
この話をした時点で、

「心療内科へ行ってください」

つい母親に怒られるかと身構えましたが、特に変わりなく、
お昼を食べようと、近くのびっくりドンキーへ行ったことをよく覚えています。

私からすると、学校をサボって外食というのが 
母が全く怒っていないと安堵できる要素でしたので、よく覚えています。


その日のうちに心療内科へ行きました。

過換気症候群、過呼吸というものだと言われ、
紙袋を口に当てて息を吸うペーパーバックを教わり、帰りました。

発作は卒業式まで毎日続きました。

次第に学校へ行きたくないと思うようになり、母にも告げましたが
早退してもいいから行きなさい、と言われ、
文言通りほぼ毎日早退していました。

それは卒業式も抜けやすいよう別の席で参加し、
公立の受験も別室受験をさせてもらいました。


私は札幌の生まれ育ちなのですが、
札幌はメインが公立、滑り止めが私立という風習です。

が、英語が得意で英語の勉強をしたかった私は、
私立の国際科に進ませてもらいました。

(本当は私立は奨学金が取れれば、という条件でしたが、
母の後押しもあり、特待生は取れずも入学を許可してもらいました。)

同じ中学の人は一人しかいないという環境で、
過呼吸は治ったように思っていました…。


中学生活は満帆だったのか?


自分では、当時は何の問題もないと思っていました。

もちろん、そんな訳はなかったんですけどね。

実はリストカットは、過呼吸が始まる前から行っていました。
それでも自分のストレスを理解していなかったようです。


長くなってしまいそうなので、また次回へ。

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